桂川、宇治川、木津川の三川合流域にある淀川河川公園背割堤地区をぶらりとして、一旦は京阪電車の石清水八幡宮駅に戻ってまいりました。すでに昼飯どきには些か遅れをとっておりましたが、さほど待つでもなくパスの時間となりましたので、取るものも取り敢えずこれに乗車したのでありますよ。

 

 

次なる目的地こそ、当初は駅前観光案内所でレンタサイクルを借りて…とも思っておりましたが、いざバス移動をしてみると「結構乗ったな」感がありましたなあ。もっとも、先にもふれた京奈和自転車道が木津川の堤防の上をずうっと続いていて、サイクリストたちがびゅんびゅん飛ばしていますから、自転車で行けないこともないとは思いますが。

 

 

ともあれ上津屋流れ橋というバス停で下車し、「降りたらすぐに分かりますよ」と観光案内所の方に教わったこちらの施設でまず昼飯をと。「やわた流れ橋交流プラザ四季彩館」という地域コミュニティのための複合施設内にあるレストランですけれど、ランチ営業はバイキングのみであるというなのですなあ。あいにく少食だものですので些か惑っておりますと「テイクアウトのカレーなら」という話でしたので、「それ、ください!」と飛びついた次第でありますよ。

 

 

要するにビュッフェ形式の料理が数々並ぶ中のひとつであるカレーとごはん、おまけのからあげを自分で盛り付けてどうぞというものでしたけれど、それでもこの一品に「流れ橋カレー」なるネーミングがなされておりますと、あちらこちらのダムカレーではありませんが、何とは無し有難みが出るといいましょうか。

 

 

盛り付ける器が(環境への配慮でしょうか)紙素材だものですから、あまりご飯を欲張ってよそいますと、真ん中部分でぱっくり二つ折になってご飯をこぼずという残念な結果になりかねませんので注意が必要です(危うく難を逃れた者の経験談)。ともあれ、レストラン外のベンチで流れ橋カレーをいただいておなかを満たしたところで、さて「上津屋流れ橋(こうづやながればし)」でありますよ。

上津屋橋は、昭和28年に架設された全長356.5mの日本最大級の木造橋です。本橋は、梅雨や台風がもたらす豪雨のため、川の水位があがると、橋桁と橋板が流されるその独特の構造から通称「流れ橋」とも呼ばれています。

 

三川合流域さくらであい館辺りからは少々上流の木津川、この堤防の向こうに上津屋流れ橋はあるはずですが…、「おお!あった!!」。木津川は川幅がありますので、なかなかに長い橋ではありませんか。

 

 

川岸近くに広がるのお茶畑だそうで、「日本茶800年の歴史散歩」~京都・山城として日本遺産とやらに認定れされているということですが、河川敷に広がる茶畑は木津川が暴れると真っ先に被害を受けるようにも思えますけれどねえ…。

 

 

何しろこの高さのある橋桁を越える水量があるからこそ流れ橋の構造が生まれたのでしょうし。ともあれ、ここまで来たら当然にこれを渡ってみるわけですが、流されやすくする構造だけに欄干も手すりも何も無しです。

 

 

むくむくとプチ高所恐怖症の気が湧いて来たりもするところですけれど、木津川の流れがあるところで覗き見れば、実にたっぷりとした水量ですなあ。これが大雨だったりするとぐんぐん川幅も水嵩も増していくとは、自然災害の恐さを思わずにはいられないところかと。

 

 

橋の両端にはワイヤーが渡してあるのがご覧になれると思いますが、これが「流れ橋」の「流れ橋」たる構造なのですなあ。仕組みのほどを近くの解説板では紹介しておりました。

 

 

早い話が、大きな出水で木津川の水量が増えると橋板は流れに任せて浮かびあがり流れ出すと。ただ、ワイヤーを渡してあるので、減水した後にこれを手繰り寄せて橋板を元に戻すという仕組みなのですなあ。ですが橋を行ったり来たりしておりますと、KBS(といってましたかね。京都の放送局らしい)の方が取材(?)に来ていて、「流れ橋がようやく渡れるようになりましたが…」と言ってコメントを求めらたのですなあ。

 

ですが、コメントも何も日常的に橋を利用する地元民でもありませんので、むしろ「この橋、渡れなくなっていたのですか?」と聞き返してしまうような始末。実のところ、昨2023年8月の台風による大水で橋桁そのものが流されてしまったらしい。流れ橋だけに…とは笑っていられない状況だったようで、その後はずっと工事が行われ、渡れるようになったのは2024年5月17日をもって取り敢えずということでありましたよ。訪ねたのは5月22日でしたから、ほんの数日前まで渡れなかったのでしたか…。

 

 

気付かされてみれば確かに工事を知らせる看板もあり、河原に重機が入っていたのも工事が続いているからなのでしょう。とまれ、上津屋流れ橋はまた旧来の姿で(たぶん)不死鳥のごとく蘇ったようですけれど、地元の方々には生活道路にもなっており、観光スポットでもあり、また「日本の原風景を思わせる木造の風情ある姿から、テレビや映画の時代劇などの撮影で使われてい」ることも、復活の後押しをしたのでしょうかね。

 

 

ちなみに、橋の際に置かれた「流れ橋 上津屋」と記された小さな石柱の裏側には「寄贈 藤田まこと」と。これも時代劇の撮影絡みのことなのでしょう。ところで、タイトルに記した「川は流れる橋の上?」というのは、上津屋流れ橋の話を書こうとしてふいと五木ひろしの昔のヒット曲(一応、オリコン最高位10位だそうで)『愛の始発』の歌い出し(♪川は流れる橋の下~)が浮かんでしまったから。ただただ、それだけのことでして(笑)。とにもかくにも、渡れてよかった流れ橋…というお話なのでありました。