…ということで、京都府八幡市にあります「淀川三川郷流域さくらであい館」の展望塔に上り、木津川と宇治川の間に延びる背割堤を眺めやって、この突先まで行けるだろうかと歩き始めたところから話は続きます。

 

木津川と宇治川を分けて真っ直ぐに延びる背割堤は長い長い桜並木となっているようでありまして、知っている人はよおく知っている桜の名所であるようで。そも「さくらであい館」という施設名はなんぞ?と思っておりましたですが、これが名前の元だったのですなあ。

 

 

と、左手(木津川側)に石碑のようなものがありましたので立ち止まってみることに。蕉門の俳人ふたりによる句が刻まれておるようです。

 

新月やいつをむかしの男山 其角
沓音もしずかにかざす桜かな 荷兮

蕉門十哲のひとりとされる宝井其角、Wikipediaには「芭蕉がライバル視していた井原西鶴とも交際し、生涯に2度、西鶴を訪ねて上方を訪れている」とありますので、その折にでも背割堤を通りかかって、石清水八幡宮のある男山を木津川ごしに眺めたりしたのであるか…と思うも、明治期まで木津川はもそっと上流で宇治川と合流していたと知れば、はて?とも。

 

背割堤が今の形になったのは大正期ということですけれど、ともあれ山本荷兮(かけい)の句が添えてあるところを見ますと、周辺地域に昔から桜で知られる場所があったのでしょうかね。ちなみに、句碑の背景に遠望できるのが男山でありますよ。で、道はさらに続きます。

 

 

右に宇治川、左に木津川。右側は岸辺にまで高い木が並びますけれど、左側は草原になっておりますな。やっぱり、宇治川の流れが比較的穏やかであるのに比べて、木津川の方は時折暴れまくることがあるので高木は育たないということであるかと。

 

 

道々、路面にはかようなプレートがところどころに埋まっておりまして、この地点は背割堤の入り口から400m、突端まで1000mと。つまりは全体で1.4kmで往復すれば2.8kmとは…実に不用意に歩き出してしまったものです。ともあれあと1km、ゆるゆる進んでいったのでありますよ。結果、遂にこのような地点に到達することに。

 

 

「三川合流点から0.0km」とあるのを見れば「おお、ここが!」と思うわけですが、その実、目の前に展開しているのはこのような眺めでありまして…。

 

 

行く手を阻む高台な草っぱら…。最先端部で足元を見下ろしても、こんな具合でしたなあ。

 

 

何やら石葺きを再現した古墳のようになっているだけでありましたよ。まあ、「どのみち、合流点は見えないんだろうなあ」とは想像していましたから、やっぱり見えないのだという確証を得たことをもって満足したわけですが。

 

すごすごと引き返してくる道すがら、木津川と宇治川の流れを目の当たりにしたからいっか…てな思い巡らしをしておりましたですが、「?!」と気付いてみれば「そういえば、桂川の川面を見ていないのであった」と。三川合流となれば、押さえておきたい桂川ではありませんか。

 

 

さくらであい館の展望塔から眺めた景色を思い出し、宇治川に架かるこの橋の向こう側の堤防の下に桂川は流れていようと当たりを付けたのですな。背割堤を往復したばかりなのをものともせず、今度は桂川を目指したのでありますよ。

 

 

宇治川を橋で渡り越したところで、右手に見える堤防の上にさえ立てば、些かなりとも桂川の流れを見やることができようと踏んだ次第。ですが、やっぱり…。

 

 

堤防の向こう側を覗き下ろしても、結局のところ桂川の流れを目の前にすることはできずじまい。宇治川を越えた橋(奥に見えてます)からまたずいぶんと歩いてきたんですが…。

 

とまあ、かように思惑はことごとく外れてしまったわけですが、やっぱり「見えない」ことをこの目で確かめておかないことには悔いが残ったでしょうからなあ。それにしても結果的にたくさん歩くことになったわけで、石清水八幡宮駅を引き返す道すがら、堤防沿いでは風をきってすいすいと自転車が通り過ぎているのをなんともうらやましく思ったものです。

 

こんなことなら、駅前の観光案内所でレンタサイクルを借りるんだった…とは全くもって後の祭り。もっとも、通り過ぎる自転車は「京奈和自転車道」というサイクリングロードを本気モードで輪行している人たちですので、そこにレンタサイクルがうろうろ紛れ込んでも危なっかしいだけかもですなあ(笑)。