春になって年度が移り変わったこともありましょう、最寄りの美術館ではまた新しい展覧会が始まりましたので、ふらりと出かけてみた次第。すぐ近くには桜並木があるのですが、のんびり花見などしておれない悪天候でしたし、『日本漫画会 最近三十年史図絵』展@たましん歴史・美術館へと逃げ込んだようなことでもありましたよ。
日本で初めて設立された漫画家集団は「東京漫画会」という団体だそうで。1915年と言いますから大正4年ですかね。この団体が発展的に?解散した後、大正12年にできたのが「日本漫画会」であると。日本の漫画の歩みもまた大正モダニズムの中で始まったのであるか…と思ったりしましたなあ。
されど「漫画」とはいえ、今現在、一般的に漫画といって思い浮かべるのは誤解の元であって、要するに新聞紙上を飾ったヒトこまの風刺漫画、今でも新聞には生き残っているものの、もはやこれはこれで特殊な世界でもあろうかと。
明治以前の「かわら版」にも挿絵入りはありましたですが、明治になって洋風の「新聞」が作られるようになると、紙面構成なども欧米先行の新聞が参照されたことでしょうから、その中に風刺漫画もあったことでしょうね。それを真似て(?)紙上を飾る漫画を描く者の出てくるわけで、それが一定数になり、結社するまでに至ったのが「東京漫画会」ということなのかもです。
ですが…、と言っていいのかどうかですが、当時の漫画の描き手たちは出発点に絵描きになりたいところから出発して、東京美術学校の出身者やら画塾、画家集団で研鑚を積んだ人たちが大多数を占めていたようで。今のようにストレートに漫画家になりたいといった進路選択ではなかったものの、ヒトこまの絵を描く点では画家の仕事であって、そこに込められたメッセージ性、発信力に魅力を感じた人たちだったのかもしれませんですね。
というわけで、展覧会タイトルにある「最近三十年史」を見て、1994年以降最近までのことかあ?などと思ってはいけないわけですな。フライヤー裏面には、こんな紹介がなされておりますよ。
本展で紹介するのは、1927年製作の《最近三十年史図絵》。明治、大正、昭和初期にかけての社会を表す風刺画28点を27名の漫画家が、墨と水彩による軽妙洒脱な筆遣いで描いています。…日本近代漫画のあけぼのの時代。そのユーモア溢れる豊かな表現を感じていただければ幸いです。
風刺といいましても時代が時代ですので、一点一点のタイトルに「日英同盟」、「日露戦争」、「日韓併合」、「大正改元」、「独逸に宣戦」、「尼港事件」、「関東大震災」…と並ぶのはあたかも当時の新聞一面トップを見るような気がしますし、それらの事件・事態にちくりと一刺しするというでもないような。見たところ、最も風刺的と思しき作品は「普通選挙法公布」と題した、中島六郎の一作でしょうか。
大正デモクラシーなればこそでしょうか、納税制限のあった選挙制度(要するに金持ちしか投票できない制度ですな)の改正を求める運動が高まりみせていたことに対して、大正14年(1925年)に通称「普通選挙法」が制定されて、選挙権を持つ範囲が拡大されたのですね。もっとも、対象は25歳以上の男性とされて女性の参政権は戦後の1947年にならないと実現しないわけで、この辺りは日本という国が経て来たこととして、広く知っているべきことのように思いますですねえ。
ところで中島六郎の漫画ですけれど、身なりのきちんとした老人がいささか困り顔で農民(脇に鍬が描かれて)や工員(脇に大きなハンマーが描かれて)など集まりくる人たちに「風船」を渡しているという図なのですな。老人はどうみても当時首相であった加藤高明の似顔絵と誰もが判ったことでしょう。そして、手に手に渡す「風船」が普選(普通選挙)であるとも。ただ、渡されたものが「風船」であって、うっかりすればすぐに手元から飛び去ってしまう、はたまた簡単に割れてなくなってしまう、そんな淡さ、おぼろさには思い至っていたのかどうか。中島が込めた意図はそこにこそあるように思えたものでありますよ。
とまあ、戦争やら事件やら、政治に絡むような題材ばかりのように拾ってしまいまして、女性参政権もまだまだ先の話と言いましたですが、大正期はモボ・モガの時代とも言われたわけで、女性が男性の後ろにばかり控えている時代から変化してきていたことを窺わせる題材もまたいろいろと。川上貞奴は日本で初めて女優育成の学校を作ったことを扱う服部亮英の「女優出現」、日本初の女性オリンピック・メダリストという稀有なアスリート・人見絹枝の活躍にふれた森島直造の「スポーツ隆盛」、青鞜社の活動を取り上げた小林克己の「女性の覚醒」などが見られましたな。その頃から何十年をも経た今になっても、ジェンダーギャップ指数で日本は125位という状態(2023年)ですけれど。
いささかほんわりしたところでは、時の国民的作家・夏目漱石を描いた岡本一平(岡本太郎のお父さんですね)の作品がフライヤーを飾っておりますが、岡本も漱石山房に出入りしていたひとりだったようで。岡本が新聞の漫画記者に抜擢される背景には漱石の推薦があったようですしね。そもそも「最近三十年史図絵」がまとまった図絵集、出版物として発行される際に表紙の題字を書いたのが、漱石とも付き合いのある画家・書家の中村不折ですし。このあたり、当時の文人・芸術家たちのつながりのほどが偲ばれるような気がしたものです。
あれやこれやと展覧会で見て来たところを雑多に並べたですが、三十年史が扱う年代のコアにある大正と言う時代。これまで明治と昭和はなんとなくイメージできていたように思うところにあって、茫漠としていた大正時代が「ああ、こんなふうでもあったのであるか…」と思い巡らす手がかりにもなったものでありますよ。ま、未だ漠たるものではありますが…。