ということで、財力豊かな?豊田市美術館のコレクション展に見入った後は、同館の別館といいましょうか、高橋節郎館を覗いてみた次第です。この作家のことを全く知らなかったものですので、「せっかく来たので寄っておくか…」くらいの気持ちで立ち寄ったのがそもそもなのでありましたよ。

 

 

ですが、この高橋節郎という方、漆芸の世界では相当以上に知られた、ある種、大御所といっても良い存在であったようで。ただそのような肩書は抜きにしても、展示室に入り込んで立ちどころに「おお!これは!」と魅了されたというのが正直なところでして。これが漆芸?!と思ったりも。

 

 

漆芸の作品といえば、要するに工芸品のイメージで日用遣いもできる器だったりを思い浮かべるところながら、ここにあるのはタブローであり、オブジェであり…と。

 

信州・安曇野の生まれであるという(つまり、豊田市とは大きなつながりがあるでもない?)高橋節郎は山に囲まれて自然を愛する心を育むとともに絵を描くことが大好きな少年であったそうな。旧制松本中学の恩師により美術への目をさらに開かれもして、東京美術学校を目指しますが、ここで父親の猛反対にあうことに。父親曰く「絵で飯は食えない」と。結局のところ、節郎は美術学校に入学するのですが、父親との妥協の産物として進路は工芸科漆工部にになるのですな。父親とすれば、工芸ならば手に職を付けるわけでまだしも飯はくえようとなり、節郎としては「どこにいても絵は描けるだろう」という思惑だったようで。

 

さりながら、それまで漆芸に触れたことのなかった節郎、伝統工芸の粋(なにしろ芸大ですから)を学ぶに、とてもとても絵を描いている時間など作れずに、漆芸の技の習得に邁進する日々となっていったわけですが、そのうちに節郎自身、漆の魅力にも目覚めていくという。絵を描く魅力と漆芸の魅力、その折り合いとして節郎は色漆を多用した色彩的な作品を作り出すようになっていったのだそうです。

 

それで高橋節郎の個性が認められるようになっていくものの、やがてふと気付いたことには「油絵具を色漆に変えて描いていたりするのは、漆芸の本来ではないのではないか」と。そこから、古来の漆芸作品として思い浮かべる漆の黒と朱、蒔絵の金、螺鈿の光沢といった、限定された色遣いによる表現を極めていくことになるのですなあ。生み出された作品は、例えばこのような。

 

 

 

漆を用いた技の発露ですから、確かに漆芸なのですけれど、「漆屏風」と言われるようにこれらの作品は(器のようなものでなくして)屏風絵、つまりは絵画作品なのですよねえ。明治になって、日本の美術界では欧米偏重になったり、古来の日本美術が見直されたり、振り子が揺れるような状況だったわけですが、そんな中で、いわゆる「美術工芸」という言い方がなされて、「美術」という大きい括りがあってその中に「工芸」もおまけ的に入れてやろうという受け止め方に異を唱えて、節郎は「工芸美術」という言葉を使ったようです。つまりは「工芸は美術である」と宣言したわけですな。

 

西洋絵画のタブローはその画面でもって勝負している、それと同じように漆の作品であってもその画面だけで見極めてもらおうとした節郎は、大正3年(1914年)生まれですので、大正から昭和初期のモダニズムの風潮の中で作家修業をしていくわけですが、そのあたりの蓄えもあってか、作品にはシュールさを湛えるものになったりするのですよね。こちらの漆屏風など、見ていてジョアン・ミロを思い出さないといえば嘘になったりもするような気がしたものです。

 

 

 

ただ、そうはいってもひたすらに画面にだけ注目すれば漆芸技法で作り出されたことを忘れていいということではないわけで、絵画作品として語り掛けるものとともに、漆芸の技を凝らして作られたことも意識するとなれば、これはもう画像でなくして実物を見るしかない。間近に寄って眺めるにしくはないわけで。

 

 

そんな高橋節郎作品の実物をたっぷりじっくり見る機会を、この豊田市美術館で得られたのはこの上なく幸いなことでありましたなあ。ま、初見にしてこれだけ惹かれた背景には個人的な趣味嗜好との関わり無しとは言えないのですけれどね。なにしろ、上の方の山を描いたような2点の屏風にはそれぞれ、「古墳月彩」、「古墳借景」というタイトルが付けられ、ミロのモチーフが窺えるようなその下の屏風は「星座物語」というタイトルながら、ラスコーの洞窟壁画のようでもあり、その下には大きく遮光器土偶が描き込まれている。どれも、古い古い時代を思わせ、古代への憧憬を感じるようなところがある。こんなところにもくくっと来てしまい…。

 

 

 

古来、仏像製作にも用いられた乾漆(これも漆芸技法なのですな)によって形作られたオブジェ作品もまた、縄文好きであった岡本太郎を思わせるようなふうでありまして、ここにも古代憧憬のイメージを見ることができたりもするわけでして、曰く言いようのない幸福感とは言いすぎかもですが、そんな気分に浸ったものでありました。おっと、これはキュビスムですねえ。

 

 

結構大きな企画展も開催されますし、コレクションもまた見どころあるしという豊田市美術館ですけれど、訪ねる機会がありましたら高橋節郎館をじっくり眺める時間を予定されることをお忘れなく…と、関係者でもありませんのにね(笑)。

 

ということで、美濃瀬戸を巡って陶芸を見ることをスタートとしつつ、最後には漆芸にたどり着いたという「美濃瀬戸やきもの紀行」はこれをもって(ようやっと?)全巻の読み終わりに至りました。旅の本来の時系列から言えば、豊田市美術館の後、刈谷市美術館で和田誠展を見て帰途につくというのが流れですけれど、そのお話はとうに済ませておりますしね。ともあれ、今回もまたまとまりある、収まりの良い旅ができたと満足感の余韻に浸っておりますよね。ではでは。