長野県下諏訪町にある諏訪大社下社の秋宮春宮を巡ったわけですけれど、諏訪大社といえばやはりこれ!御柱祭ですよねえ。

 

御柱祭は七年目毎、寅と申の年に行われます。正式名称は「式年造営御柱大祭(しきねんぞうえいみはしらたいさい)」といい宝殿の造り替え、まあ四つの社殿それぞれの四隅に「御柱」と呼ばれる樹齢二百年程の樅の巨木を妃建てる諏訪大社では最大の神事です。勇壮さと熱狂ぶりで、天下の大祭としても全国に知られている御柱祭は、古く、八○四年の桓武天皇の御代から、信濃國一国をあげて奉仕がなされ盛大に行われる様になり、現在では諏訪地方の氏子が中心となって開催されています。

春宮の近くには、このような説明が掲示されてもおりました「おんばしら館 よいさ」がありましたので、覗いてみた次第です。建物の感じからして、まだ出来て間もない施設でしょうか。どうやら2016年にオープンしたということで。

 

 

諏訪大社の御柱は、四つのお宮それぞれに幣拝殿を囲む四隅に建てられていますけれど、下社春宮の場合にはこんな感じですね。

 

 

すでに秋宮・春宮参拝の折に見上げて「おお!」と思った御柱ですけれど、幹を輪切りにしたところを見てみれば、その巨大さが窺い知れますなあ。されど、「これほどまでに太く大きい木だったかいね…」と少々疑ったりも。そのくらいの大きさでありましたよ。

 

 

これほどに大きな巨木(上の写真の秋宮一之御柱でいえば、長さ18m、直径1.5m余りと)となりますと、山から切り出したこのご神木を曳きまわす曳綱もまた豪快ですな。長さは約30m、直径は約30cm、重さでいえば約1トンにもなるということでありますよ。

 

 

ともあれ、かように太い木を、かように太い綱を使って山から町なかへと運んでくるわけですが、その過程で最大の見せ場はよく知られた「木落し」でしょうなあ。映像を目にするたびに「死人が出てもおかしくない…」と思ってしまう場面ですな。さりながら、お社に到着したご神木を立てるのもまた、考えて見れば大変な作業でありましょう。思い至っておりませなんだが、全て人力で行うということですのでね。

 

 

模型で見ればこんなふうですけれど、滑車を使っているとはいえ、力任せの人海戦術には古代の息吹が伝わるような。古墳造りも人海戦術だったでしょうしね。ただ、コロナ禍を引き摺る2022年の御柱祭ではたくさんの人が出て密集する場を作ることができないため、トレーラーを使って運搬し、クレーンでもって立てるという、史上類を見ない対応が撮られたのであるそうな…。

 

ところで、御柱祭についてはご神木を運び、立てるということでしか知識が無かったものの、どうやらそれだけのお祭りではないようで、「よいさ」の中にはかような展示室もありまして。

 

 

下帯姿のいかつい男たちがご神木を曳きまわすのと同時に「騎馬行列」なるものも行われておると。ビデオ映像でもって、それぞれの衣装で着飾った氏子の方々が行進するようすを目にしますと、「ああ、これはこれで日本のお祭りっぽいな」と。ついつい、古代とのつながりにばかり思いを馳せてしまう御柱祭にもかかる側面があったのですなあ。

 

 

 

ちなみに真ん中の、お殿様然とした衣装を着て馬上に晴れやかな姿を見せるのは、子供の役どころだそうで。諏訪の方の親御さんなら、子供にこの晴れ姿をさせたいものだと思うのであろうなあと見入っておりますと、館内の係の方いわく「衣装は自前なんです」と。つまりはお金持ちの子供にしかできない役どころであるというのが現実なようでありますよ。そんなことでいいんでしょうか、諏訪大神!どうお考えでしょうか(笑)。

 

とまあ、そんなこんなの諏訪大社ですけれど、展示の最後の最後になって上社・下社のかみしもの謂われには(例によって諸説ある中)こんな言い伝えもあるようで。

 

今ならば、東京から中央本線で移動する経路上、東京に近い方から「かみしも」となっているように思って、勝手に得心するわけですが、冷静に考えますと往古の時代、甲州街道などより遥かに歴史のある東山道(中山道)の通る方が「かみ」てなふうにも思える。さりながら、水の流れに由来するものでありましたか。龍神信仰と関わる水の神を祀るだけに、なるほどねと思ったものなのでありましたよ。