諏訪大社下社秋宮の参道を背にして、大鳥居の前を左手に回り込んでいきますと、かような石碑(と解説板)に行き当たるのですね。曰く「下諏訪宿 甲州道中 中山道合流之地」と。

 

 

この碑の場所まで諏訪大社の鳥居前から回り込んできた道、看板に対しては右手から続いてきていた道というのが甲州道中(甲州街道)であって、その終着点がここであるということなのですな。そして、看板に向かってまっすぐ後方からここに至り、左手に折れて続いていくのが中山道であると。

 

 

甲州街道と中山道、両者の結節点がここ下諏訪宿というわけなのですね。石碑の裏側にある古い建物は宿場であって馬を替えたり、人足の手配をする問屋場跡ということですけれど、すぐそばには諏訪大社、そしてなおかつ温泉の湧き出る宿場であったことは、さぞかし往来賑やかな街道筋であったことでしょうなあ。

 

 

往時の賑わいを偲ぶ陶板画とともに「綿の湯」と刻まれた石碑もおかれてあります。よく見れば、刻まれた文字の揮毫は永六輔であるようですなあ。永六輔といえば、名歌?『いい湯だな』の作詞者であるなと思い至るわけですが、あいにくと歌詞の中に下諏訪の湯は無かったような。ま、日本に温泉の有名どころは数多ありますものねえ。

 

 

それでも上諏訪温泉のところで「八坂刀売命が…綿にしめらせて運んだ化粧用の湯が途中で落ちて上諏訪温泉となり、綿を捨てたところが綿の湯になりました」という言い伝えを引きましたけれど、終着地たる「綿の湯」がこちら下諏訪温泉であったわけで、いわばおこぼれである上諏訪温泉よりも由緒ありと、胸を張っているように感じられもしたものです。

 

なるほど、古い宿場町に古い温泉宿が点在するさまは風情があるものの、諏訪湖畔直近に佇む上諏訪の温泉宿は現代の観光客にはより魅力的かもしれませんですね。ただ、言われを知った以上はまたいつぞやに下諏訪の湯にもつかってみたいと思うところです。ただし、こんな言い伝えもまたあることは知っておきませんと。

…神の湯ですから神聖で、やましい者が入ると神の怒りに触れて、湯口が濁ったといい、「湯口の清濁」は下社七不思議の一つに数えられています。

まあ、昔の街道筋には怪しげな雲助が暗躍したりもしたことでしょう。そんな胡散臭げ(しかも体は土ぼこりにまみれていたりして)な連中が共同浴場にでも入ってこようものなら、立ちどころにお湯が汚れて…てなことが、まことしやかに神罰と目されたりもしたのかもしれませんですねえ(笑)。

 

とまあ、かような下諏訪宿にあっては老舗というよりもむしろ新規参入というところかもしれませんが、創業明治6年という和菓子屋さんで土産ものをあがなうべく立ち寄ったのでありますよ。

 

 

店先に「塩羊羹 新鶴本店」と掲げられてありますように、看板商品は「塩羊羹」。なんでもこのお店でしか買えない(店に直接発送を依頼することはできるようです)という品ですので、和菓子好きな両親向けにと思ったわけですが、個人的には「羊羹?」と思う方であるものの、そこはそれ、塩羊羹ですのでべた甘でない上品な(?)味わいはまずまずであると(失礼…)。

 

 

山国・諏訪ではなおのこと、塩は貴重品だったでしょうから、それを使うこと自体が贅沢であった時代もありましょうね。上杉謙信が武田信玄に塩を贈った…てな逸話を思い出したりもしながら、ゆらりと流してみた下諏訪宿の街道筋なのでありました。