さらっと、信州・諏訪湖畔にあります上諏訪温泉につかってきたのでありますよ。いやはや、温泉らしい温泉、温泉宿らしい温泉宿はなんとも久しぶりでありまして。

 

 

お宿はこちら、「上諏訪温泉 創作会席を愉しむ湖畔の宿」と謳う「ぬのはん」。元々は嘉永元年(1848年)創業の呉服商であったということですが、創業者・藤原半助の営む布屋ということで、「布屋の半助」略して「布半(ぬのはん)」が通り名になったのであると。さりながら、その後は温泉宿になっていくわけで、そのあたりはロビーにあります「ぬのはんの由来」から引いてみましょう。

明治十六年(一八八三年)には、三代目半助が当地(諏訪)で初めて、さく井による天然温泉を掘り当て、温泉旅館となり、シルクで栄えた岡谷や諏訪を訪れる外国人のバイヤーや技術指導員など、多くのご利用をいただきました。
また、一方では、アララギ派歌人の常宿として、島木赤彦を始め、斎藤茂吉など多くの歌人の歌会の場にもなりました。
その後、大正九年(一九二〇年)に、現在の諏訪湖畔に別館として「布半別荘」を開設。当時としては大変珍しいベッド付き洋室が話題となり、現在の「ぬのはん」に到っております。

シルクで栄えたようすは、(今回立ち寄ってはいませんが)すぐ近くに片倉館(絹で大きな財を成した片倉財閥が社員と市民の福利厚生、社交の場として作った大温浴施設)があることからも想像ができますですね。そして、(これまた今回立ち寄らずながら)すぐお隣の下諏訪町立博物館は諏訪生まれの島木赤彦の記念館にもなっておりまして、アララギ派歌人を招き寄せたのは偏に赤彦の郷土愛だったのかもです。

 

とはいえ、風光明媚さに加えて温泉が好まれたのかも。単純温泉と言いながらも、少々とろりとしたところがあまりに刺激にならずに肌触りよいと感じましたし。く、りますので、古くから衣類に関する商売も好調だったのかもですね。ちなみに諏訪の温泉に関しては、諏訪大社のご祭神にまつわって「湯玉伝説」というのがあるそうな。諏訪市博物館HPには、かような紹介がありますですよ。

ある日、建御名方命は妃の八坂刀売命とけんかをし、妃は下諏訪へ移ってしまいました。この時綿にしめらせて運んだ化粧用の湯が途中で落ちて上諏訪温泉となり、綿を捨てたところが綿の湯になりました。

ちなみに風光明媚さの方は、部屋から望んだ諏訪湖の夕景はこちらでございます。

 

 

先日、関東にも積もった雪の名残がここではまだまだたくさん見られたものの、どうやら諏訪湖が結氷する、つまりは御神渡りがあるようすはありませんですね。夕食のときにそんな話を仲居さんとしていましたら、御神渡りは立春以前に現れないと、ほぼほぼもう無いということになるのだそうで。2月が冬本番とは思ところながら、そして立春の日にちも旧暦から移っているものの、それでも「立春」には自然の移り変わりとの響き合いがあるのでしょうかね…。

 

で、その夕食のことですけれど、「温泉宿らしい温泉宿は久しぶり」と言いましたのは、とにかく食事が溢れ返るばかりに供されるのを避けていたところもあるのですな。個人的には至って食が細いもので。そんなところへもってきて、こちらのお宿の宿泊プランでは夕食に「美食厳選コース」というのがあると。これならいけそうと思ったわけでして。「品数を減らし、上質を追求しました」と言うだけあって贅沢をさせてもらいましたが、量的にも決して不足は無かったですなあ(例によって食べるのにせわしく、画像はありませんのでご容赦を)。

 

 

さてと一夜明けて、朝の諏訪湖。も少し左手にぐぐっと寄れれば富士山方向、もそっと右に見通せれば北アルプスが望めるところなのですけれど…などと、朝湯で温まったほてりを冷ましつつ、思ったものでありましたよ。ま、ここまで来たら、諏訪大社には詣でていきましょうかね。