さてと、岐阜県土岐市の美濃陶磁歴史館で常設展のコーナーへ。曰く、収蔵品展「美濃桃山陶」と。解説の「はじめに」としてまずはこんな紹介が。

室町時代、茶の湯の道具への価値観は中国陶磁を第一とし、戦国時代に入ると国産品にも美を見出すようになっていきます。安土桃山時代には全国各地の窯場で茶陶生産が盛んになり、美濃窯においても「美濃桃山陶」が生まれました。

唐物重視から嗜好が変化するあたり、アニメ『へうげもの』でも見たとおりですけれど、それほどに茶陶生産が盛んとなっていったのは、茶の湯の大衆化が背景にありましょうなあ。いわば、千利休の思い描いたとおりなのかもですが。

 

で、茶陶というとすぐさま茶碗を思い浮かべますですが、「茶を点てて飲むだけではなく、床の間を飾り食事をして酒や煙草を呑むといった一連の行為を通した社交の場」が「茶の湯」ということなれば、そこで使われる道具はさまざまにあるわけでして、それらをひっくるめて茶陶というのであると。

 

 

ここではまず、茶碗以外のさまざまな道具を見ていくことにしようと思いますが、最初に出て来たのは「茶壺」でしたなあ。「茶壺」と言われて思い出すのは童謡『ずいずいずっころばし』くらいなもので、要するにお茶を入れて保存する容器でしょう…と思うところながら、そう単純な話でもないようなのでありますよ。

 

 

「茶壺」は「碾茶を保管・運搬する器」であるということですが、素人には「そも碾茶(てんちゃ)とは?」となりますなあ。果たして「石臼で挽いて抹茶にする前の葉茶」が「碾茶」であると。元は大陸由来で、「酒や香辛料、薬草などを保管する」ために用いられた器を「日本では茶道具に転用」した…とは、要するにこれも「見立て」になりましょうかね。中国イメージを残す、上の「鉄釉四耳壺」も輸入品の模倣でしょうか、美濃窯の作であるようで。

 

 

お次は「茶入れ」です。一般庶民にとっては、お茶入れと言いますと金属製の茶筒を思い浮かべますが、考えてみるとリサイクル的に古くから詰め替え用として使用されてきた容器も少ないのではなかろうかと。もっとも、入っているのは抹茶でなくしてもっぱら煎茶でしょうけれど。ともあれ、これも中国由来の日用雑器だったものを「見立て」で茶入れにしたようで。それが、「楢柴肩衝」、「新田肩衝」、「初花肩衝」などという銘が添えられ、「大名物」として重宝されるとは…。『へうげもの』でもこれら「天下三大肩衝」に秀吉が固執する姿が描かれておりましたですね。

 

 

続いては「水指」、文字通りにお湯を沸かす前に水を入れておく器ですな。茶筅を洗うためにも使うようです。「当初は木竹工品が使われていたようで、…その後、徐々に多様になっていき、円筒形に限らず、浅く平らな形の水指も登場し」てくるのだとか。多様性が出て来た段階で、形を自由に作り出せるやきものが有難がられるようにもなったのですかね。左側は「美濃伊賀」、伊賀窯の品を模して美濃窯で焼いたものになりますけれど、水指は豪放な見た目の伊賀焼が有名とはいえ、どっしりとした重厚感はなんとなく侘びさびとしっくりこないような気もしておりますよ(と、例によって素人目)。

 

 

「花入」もまた余りどっしりしたものは…と思ったりも。まあ、さりげなく壁や柱に掛けて使う「掛花入」はもっぱら竹製だったりもするかもながら、「置花入」を床の間に使う場合には余白との兼ね合いである程度重厚感が欲しいてな場面があったのかもしれませんですね。

 

 

こちらは「香合」と「香炉」になります。茶席の雰囲気作りに香を焚くため、予め香料を入れておくのが「香合」で、実際に香を焚く器が「香炉」ですけれど、「香炉、香合ともに床の間飾りにも用いられ」たそうな。香炉はともかく、香合の方も意匠に凝ったのはやはりそれ自体「見せる」ためのものだったのでしたか…。

 

 

これはもうどう見ても「酒器」ですな。お茶を喫するときにはひたすらに和菓子がお供で…と思ってしまうのは、例えば東京・青山の根津美術館庭園にある茶室あたりで体験する以外、「茶の湯」と無縁だからでもありましょう。正式なものは「懐石料理、濃茶、薄茶と続くフルコースのもてなし」こそが茶席であるそうな。で、その「懐石料理の場ではお酒も振舞われ」たということなのですが、「お酒で緊張をほぐし亭主と客が心を通わせることで最高のお茶へとつなが」ると考えられていたから。当然ながらお茶こそがメインなのでありましょう。

 

 

だんだんと「織部好み」色が強くなってきたと窺えますですね。懐石料理に用いるバリエーション豊富な形・意匠の器で織部焼は大活躍だったようで、この「向付」もまた。「向付」というのは、「折敷の手前には飯椀と汁椀が置かれ、その向こう正面に置かれた器と料理を」指すのであると。「折敷の上に最後まで残る器のため、季節に合わせた亭主の趣向を表現できるよう多様な器が求められ」たことが、形や意匠に工夫を凝らす元にもなったのではなかろうかと。

 

 

最後に登場したのは「鉢・大皿」、「盛り込み料理や菓子などを出す器」だということで。「懐石料理では、折敷、煮物、焼物のいわゆる一汁三菜に続き、預鉢や強肴といった盛り込み料理が出され、さらに懐石料理の後、濃茶の前に菓子も出され」たのだとか(ようやっと菓子が登場しましたな)。これを客が順に取り回すために用いられたのが、鉢や大皿であったと。客が取り回すたびに器の中の景色が変わっていく…そんなあたりも意匠を凝らすことに繋がっていたかもしれませんですね。

 

てな具合に茶の湯で用いられる器のさまざまを見てきましたですが、「たかが器、されど器」で、ただただ何かしらを入れるもの、盛るものとやりすごすよりは、それに向き合うひとときが豊かになるような気もしてきました。以前、パナソニックが使っていた宣伝コピー「ふだんプレミアム」の感覚は、こうしたところでも得られるようにも思えたものです。ただし、妙に格式ばったのは性に合わないたちではありますが(笑)。

 

とまれ、ここではスルーした茶碗を次回は取り上げて、美濃桃山陶を別の面から振り返っておこうと思っておりますよ。