先ごろ岐阜県多治見市あたりを訪ねるに際して「旅の供」としてのがこちらの一冊、角川ソフィア文庫『古田織部の正体』でありまして。美濃焼の里に出かけるのに、古田織部の名前くらいは知っている…というだけではどうもなと思ったものですから、その「正体」とまで言わずとも些かの人となりを知ることができればと。

 

 

さりながら、タイトルだけで思わず「これだ!」と図書館から借り出してしまったものの、読み始めてみますとどっぷり茶の湯、茶陶に関わる内容でして、茶の湯の「ち」の字も通じておらない者には読み進むになかなかの難儀を強いられる始末。せても文庫カバー裏の紹介文だけでも先に目を通しておればよかったのでしょうけれどね。こんな紹介文だったのでありますよ。

…千利休の跡を継ぐ茶の湯の天下一宗匠として、慶長年間の茶の湯を変革。斬新・豪放な造形の織部焼をコーディネートし、新奇の流行を巻き起こした茶人・織部に焦点を結び、桃山文化を演出した奇才の実像を活写する。

とまあ、そんな具合ですので、戻って来てからも少し古田織部の全体的な人となりを…と思い、今度はアニメ版『へうげもの』に(『やくならマグカップも』に続いて!)手を出してしまった次第。全39話、ようやっと見終える至ったという。これはこれで(「フィクションです」をわざわざ断りが入っているほどに)脚色豊かな物語であろうとは思いますが、戦国武将の片隅にいたようすには思いを馳せることができたとは思っておりますよ。

 

利休の場合には戦国もののドラマに登場比率が高いですから、秀吉の勘気を蒙って切腹に追い込まれた…とは知るところながら、その跡を継いだ古田織部もまた、秀吉との関わりののちに家康に茶の湯を講じ、秀忠に対しては茶道指南役になったりもしながら、大坂の陣に際して謀反の疑いをかけられて自害に至る…とは知りませなんだ。ただ、アニメ版では(漫画版より終わりが早いようで)利休が切腹するところで話が終わりになっていましたので、これだと実は主人公は千利休なのでは?とも。確かに織部は中心人物ですけれど、どうにも狂言回しのようでもあり…。

 

さらには(と、アニメにあれこれ言いすぎかもですが)『へうげもの』というタイトルがうっかりすると古田織部を指しているやに思えてくる嫌いもあるような(何しろキャラ設定が独特ですものね。まずもって信長がピアスしてるのにびっくりで。笑)。かくいう自身もアニメの中に繰り広げられる織部の奇態ぶりに「もしかして、織部その人のことを指すのでもあるか…」と少々。さりながらやはりこれは受け止め違いなのでありましょう。『古田織部の正体』の「おわりに」には、こんなふうにありますし。

「へうげもの(剽軽な物という意味で当時、文物に使われていた言葉で、人物の評価ではなかった点に留意したい)」とか、「かぶく(傾くという意味)」といったアバンギャルドな表現様式が、衆庶をも含めた四民全体に流行していた慶長年間にあって、古田織部がその申し子であったように、面白おかしくとらえる印象がひろがっているかにみえるのが、二十一世紀の今日における織部の姿ではある。

なんだかずばり、このアニメのことを言っているようにも思えますな。ただ、茶の湯のありようと言いますか、使う茶道具のようすやら茶室の設えなどの点でも、織部の変革は庶人に受けるところであったというか、時流に見事に乗っかったというか。それでも織部の変革といって、それ以前に千利休が目指したところと見た目の印象は大きく異なるとしても、根っこのところは同じであった、師の教えをあだやおろそかにしていたわけではなさそうです。つまり、茶の湯を名物茶陶を愛玩できる一部の人たちの者にしておいてはいけないという点で。

 

しかし同じ方向性はありながらも、利休の方は茶の湯の伝統ある格式を保たんがため、数々の厳しい決め事を設けて律するようなところがありましたですね。利休自身はそのためのマニュアルめいたものを書き残してはおらず、むしろ(根っこに保持するものはあるにせよ)自由に展開されることを望んでいたようでもありますが、「こうするように」と書き残していないことが反って後に「利休宗匠の場合はこうだった」という縛りを生んでいったようでもありますよ。そうしたことに固執する人たちからすると、織部はむしろ利休の不肖の弟子ということになり、天下一宗匠などとはちゃんちゃらおかしいてなことにもなったようですな。

 

それでも、茶の湯の大衆化を実現したのは紛れもなく織部であって、本書に曰く、利休の茶の湯を「コンセプトの茶」、織部の方を「ファッションの茶」とあるのは素人目でも「なるほど」と思ってしまうところでありますよ。織部の茶の湯改革ではさまざまなことを挙げることができるようですけれど、こと茶道具の利用にあたっては、室町時代以来の唐名物を至高としてきた風潮を当時の陶工が国内で作る器(今焼というらしい)を多用し、しかもその造形意匠に工夫を求めたことがひとつ言えましょうね。

 

先ごろ岐阜県多治見市とお隣の土岐市を訪ねて、あれこれのやきものを見てきましたですが、その大部分は織部時代の茶陶がうやうやしく展示してあるといった体。そのあたりはまた別途に触れることになりましょうけれど、美濃焼にとって黄金時代を現出させたのが古田織部であったというなのでありましょう。繰り返しになりますが、茶の湯の「ち」も知らない者には読み進めるに困難が伴う一冊でしたが、大いなる予備知識(咀嚼できたのはわずかとは思いますが)をもって美術館の茶陶群と相対することができた気がしておりますよ。