初台にある東京オペラシティに出かけたついでに、京王線沿線のとある国立大学を訪ねたのでありますよ。調布駅からちょいと離れたキャンパス内で立ち寄ったのは「UECコミュニケーションミュージアム」なる施設でありました。

 

 

UECとはThe University of Electro-Communications、要するに電気通信大学、いわゆる電通大でして、学内ミュージアムのお出迎えがパラボラアンテナとは「いかにも」ではありませんか。同大HPでは「電気・通信分野のみの大学と思われがちですが、実際には、情報・電気・通信の素養を公約数としつつ、材料科学、生命科学、光科学、エレクトロニクス、ロボティクス、機械工学、メディアなど、理工学の基礎から応用まで、広範な分野での教育と研究を行っています」と謳ってはおりますけれど…。

 

それはともかく博物館としてはいささかの期待を持って出かけたのですよね。何せ「UECコミュニケーションミュージアム」とは、新しくハイテク(という言葉自体が古びてますが…)なイメージを醸していたもので。ただ、実際のところは…。

 

本ミュージアムは1998年に「歴史資料館」として発足し建物新築に伴い2008年にUECコミュニケーションミュージアムとして再出発しました。現在の展示物は無線通信技術の発展に沿う形で収集されてきた歴史資料館時代のものが中心ですが、今後は新制大学発足以降から最近までの研究成果も収集・展示したいと考えています。

…と、モダンな形のリーフレット(A4判を縦に半分折にした細長いもの)に紹介があるも、どうやら未だ今後の目論見には到達していないようで。なんとなく国立天文台の展示室を思い出すのは、古い、というより歴史的な機器類がそこここに山積みされているような印象からでもありましょう。

 

 

 

下の方が少々整然としているように見えますが、そのせいか反って「HARD OFF」のお店に迷い込んだような気がしたりも(個人の印象です)。とまあ、そんなようすではありますけれど、展示の入り口に船舶無線関係が置かれてあるのは電通大の前身校が「無線通信士の育成をミッションにしてい」たからなのでしょう。始まりはそういうことだったのですなあ。

 

 

こちらは1960年頃の船舶内の無線室を再現した設えで、後方にあるロッカー大の送信機は航海訓練所の練習船「日本丸」で使われていたものであると。歴史的とはいえ、こうした関係資料(たぶんに場所をとる)がざくざく集まって「どうしたものだろう…」となっているのも、このミュージアムの現実かも、です。

 

ところで、無線機群の真ん中に時計が置かれてありますけれど、文字盤になにやら赤く塗られた部分があって「これは?」と。説明によれば、備え付けが義務付けられているほどに大事な意味がある時計だったようでありますよ。

(文字盤の)赤い表示部分は、沈黙時間と言って毎時15分~18分、45分~48分の各3分間は、遭難周波数である500kHzの電波の発射は禁止し、その間に遭難信号が発信されていないかどうか、聴取することが義務付けられていました。

たくさんの船が航海し、無線電波でたくさんの通信がやりとりされる中、遭難信号が埋もれてしまわないような配慮がなされていたのは、国際的な取り決めでしょうかね。と思えば、かの有名なタイタニック号の事故も関わっていたのかもしれないのですねえ。

 

 

ということで船舶無線のことばかり触れておりますが、展示の中にはこのようなものも。確かに無線利用の歴史における一場面ではありましょうけれど。

 

 

戦争映画で通信兵が背負っている携帯用通信機。ここにありましたのは1956年から製造されるようになった「カナダ軍可搬型送受信機」ということですので、第二次大戦時はもそっと大ぶりなものが使われていたのかも。戦争はなにかと科学技術を進める要素だったわけですが、無線技術においても同様だったかと思うところです。

 

さりながら、無線電波の通信でもっとも一般的なのはラジオやテレビということになりましょうね。そのあたりに関連する器材もまた多数陳列されていましたですよ。短波ラジオのソニー・スカイセンサーとパナソニックのクーガ、懐かしいですなあ。

 

 

ですが、ここではちと端折ることにして、次にはわざわざ展示に一室が設けられていた「真空管」のお話だけ振り返っておこうかと思っておりますです、はい。