♪汽車 汽車 ポッポ ポッポ シュッポ シュッポ シュッポッポ …とか、♪今は山中 今は浜…とか、そういった類いが満載なのかなと思って図書館から借りてきてみたのですな。『鉄道愛唱歌事典』という一冊です。

 

 

さりながら「開けてびっくり玉手箱!」てはありませんですが、確かに童謡の類も掲載されてはいるものの、第1章は「歌謡曲・流行歌編」と始まりまして、冒頭を飾るのがなんとまあ「あゝ上野駅」であったとは。どちらかと言えば「昭和歌謡」(それも結構古い方)の本でもあったようで思惑違いでしたなあ。それでもかなり付いていけはしましたが(笑)。

 

著者は長年レコード制作に関わってこられた方のようで、いわば「業界」の人ですな。御年93を迎えて語るあれこれのエピソード集大成とでもいいましょうか。年代的にはもそっと上の層にこそフィットする選曲とは思いますが、それでも「ほお」とか「へえ」とかいう逸話にも溢れておりましたですよ。そのあたりをちと拾っておこうかと思った次第です。

 

例えば国鉄のキャンペーンソングにして、山口百恵の大ヒット『いい日旅立ち』では、このように。リリースされた1978年当時、国鉄は累積赤字が積み重なり、大々的なキャンペーンが難しくなっていたようですな。

…そこでキャンペーンの協賛を私企業に求めたところ、車両造り等で関係が密接な日立と、国鉄からの天下りのOBが数多くいた日本旅行がタイアップに応じました。…2社の協賛に感謝し、曲名に“日立”と日本旅行の略称“日旅”を入れようと着想。そこからパズル的発想によって「いい日旅立ち」というキャッチコピーが決められたのです。

つまりは、キャッチコピーのお題ありきで谷村新司は作詞作曲したのでしたか…。と、お次はかなり古い曲ながら『東京行進曲』、♪昔なつかし銀座のやなぎ~と言うあれです。西條八十が書いた歌詞の四番に「シネマを見ましょか お茶のみましょか いっそ小田急で逃げましょか」というフレーズが出てきて、い亜mとなっては昭和レトロ(発売は1929年、昭和4年と)な印象が際立つばかりですけれど、これに小田急からクレームが付きそうになったそうな。正式社名の小田原急行電鉄をかってに省略し、かつ駆け落ちの電車に見立てるとは!と。ところが、この曲(を主題歌とする映画ともども)がヒットし、小田急の知名度が急上昇する。1941年には正式社名が「小田急電鉄」になってしまうのですなあ。いやはや。

 

とまあ、かかる話をひとつひとつ挙げていてはきりがないことになりますが、それでもイルカ「かぐや姫」のものである『なごり雪』を最初は歌いたくなかったが、伊勢正三に背中をおされたとか、フランク永井の歌に『西銀座駅前』とあるのは地下鉄銀座線の銀座駅と別の駅として丸ノ内線に西銀座駅があったからとか、童謡『汽車ポッポ』は(冒頭に引いた歌詞がオリジナルでなくして)本来『兵隊さんの汽車』というタイトルの下、列車移動する兵隊に日の丸振って万歳して…という歌であったとか、『鉄道唱歌』は地理教育の一環として使われた(今では『桃太郎電鉄』が役割を受けついてましょうかね)とか、実にいろいろと。

 

何かと、誰かをつかまえて「こんなこと知ってる?」と蘊蓄としてたれたくなるようなことなわけですが、考えてみればここに書いていること自体すでに、「こんなこと知ってる?」でしたなあ(笑)。

 


 

てなところで、ちと千葉県内陸部の方に出かけて一泊してまいりますので、明日(12/14)はお休みということに。まあ、泊まりでまで行くようなところでもないと思ったりもしているのですが、ともあれ土産話をもってまた明後日(12/15)にお目にかかりたく。ではでは。