このほどの旅はやきものの里巡り…てなふうに申しておりますが、背中を押したひとつのきっかけは愛知県の刈谷市美術館で開催している和田誠展であったという。全国巡回してきたらしいこの展覧会はそも4月頃には岡山県立美術館でやっていたこともあり、4月に備前焼の里と古墳巡りを絡めて岡山に出かけるつもりであったのか、直前にインフルエンザでダウンして見送ることになった…という、個人的に曰く付きなのですよね。巡り巡って(名古屋でなく、地味に?)刈谷に到達していたようでして、刈谷市美術館へと足を運んだ次第でありますよ。

 

 

実のところは今回の旅の締めくくりに立ち寄りましたのであちこち巡った中では話の後先が逆転ですし、いささかもやきものの話ではありませんが、それはそれとして、これがきっかけのひとつなればまずは和田誠展を見て来たというところから語り起してまいろうかと思っておりますよ。いざ、会場へ。

 

 

しかしまあ、それほどまでに追っかけて出かけていくほどに和田誠に対して執心しているわけではない…とは思っていたですが、展示のあれこれを見るにつけ、なんとまあ、たくさんの和田誠にこれまで接してきていたことか!と思い知らされたのですな。

 

予め頭に浮かんでいたのは和田自身の挿絵に溢れた著作『お楽しみはこれからだ』くらいながら、映画をやたらに見るようになり始めの時期に出くわして、ビデオもオンデマンドも無い時代に「あれも見たい、これも見たい」ともどかしい思いをさせられたというのがいちばん記憶に残るところかと。さりながら、そのマルチタレントな活動は4種類も作られたフライヤーによおく表れされているようで。似顔絵も装丁も谷川俊太郎との絵本も星新一との仕事も、ぜんぶそのひとつというわけです。

 

 

ともあれ、本展は2019年に歿した和田誠の多彩な仕事の全貌を振り返る回顧展なわけですが、見て周っているうちに和田誠の回顧であると同時に、自分自身のこれまでを回顧するような心持ちにもなってきたのですなあ。先ほど触れた『お楽しみはこれからだ』ほどに自覚的ではなくとも、手にとった本やLPレコードのジャケットなど、「おお、これも和田誠の仕事だったのだねえ」と思いつつ、手にした当時を思い出さずにはおれないということになるわけで。

 

 

 

 

この「渡辺貞夫THE BEST」の2枚組LPなどは今でも手元にありますし、レコード絡みで言えば懐かしさを決定的に募らせたのがこちらなのでして。かつて(オタクの聖地となる以前に電気街であった)秋葉原で大きな存在感を放ちながらも今はもうなくなってしまった石丸電気で、レコードを購入すると入れてくれる袋です。

 

 

これも和田誠が描いていたのであるとは…。家の中をひっくり返せば、今でも一枚や二枚、出てきそうな気がしておりますよ。

 

 

ところでその生涯を年表的に紹介する展示によりますれば、幼少期より絵を描くことが大好きだったという和田誠は、当時まだ職業として認知度の高くなかった「イラストレーター」の看板を掲げて、宇野亞喜良、横尾忠則らと「東京イラストレーターズ・クラブ」を立ち上げたりしたと。館内ロビーで宇野が往時を顧みるインタビュー映像が流されていまして、その中で互いにつるいんではいても決して仲が良いというわけでもなかったと語るのはライバル心の故かもしれませんですね。和田のおおらかな作風は元よりの個性の反映でもありましょうけれど、例えば宇野がその後に辿った路線とは大きく異なることを意識していたのかもしれませんですね。

 

このことは宇野の側にも言えるかもしれません。同館では同時開催の特別展示として宇野の作品も展示されていましたけれど、あの宇野が当初はカルピスの宣伝画を描いていたとは、後の絵柄から想像しにくいところでもありましょう。

 

 

 

一方で和田もポスター制作に関して、多摩美時代には杉浦非水の教えを受けていたり、例えば初期作ではフランスのサヴィニャックを彷彿させるようなものを描いていたりした後に、「自分はこれ」というものを見出していったのでもあるような。

 

 

活動が多岐にわたりますので触れきれない分野がたくさんありますけれど、壁面いっぱいを埋め尽くす和田誠ワールドに包まれて、中学、高校、大学、その後と自らの来し方を思い返すことになった展覧会なのでありましたよ。わざわざ刈谷に行った甲斐はあったと満足(満腹!)になったものです。