数年前(といって、自ら書いたところを検索すれば2017年2月のことと分かるわけですが)、東京・汐留にある共同通信ニュースアートという展示スペースを覗いたことがありました。そこには日本におけるニュース配信の歴史に関わる展示もありまして、現在の共同通信社と時事通信社の2社体制になる以前、国策会社的な同盟通信社なる会社(本来的には公益目的の社団法人)があったことを知ったのですな。活動時期はほぼ戦争の時期と重なりますが、その同盟通信に集った記者たち描く、劇団青年座の舞台公演がこのほど新宿シアタートップス(つぶれたと思っていたら、いつの間にか下北沢の本多劇場がテコ入れして復活していたのですなあ、この小屋)で上演されておりましたので、出かけてみた次第です。

 

1936年1月、日本新聞聯合社(聯合)を母体に発足した同盟通信社は、6月に日本電報通信社(電通)通信部を合併して、イギリスのロイター通信、アメリカのAP通信、フランスのAFP通信に対抗する大日本帝国の通信社として誕生した。

同盟通信の成り立ちをフライヤーではこのように紹介しておりまして、時代背景と国の関与具合からして期待されるのは「国の広告塔」だろうと思うところですな。なにしろ、国内で傍受する海外電波などからもたらされる情報がひとつところに集められるということ自体、もはや独立的な一組織の活動の枠を大きく踏み外しているでしょうし。ですが、芝居の冒頭、当初は多くの情報が手に入ることを喜び、そこから「客観的事実」を広く報ずることができるようになるのだと、記者たちの思いはそこにあったようで。フライヤーの紹介は続きます。

そして、同盟通信記者の大岡、黒田、谷川は、情報部に新設した「海外情報分析室」に配属される。その任務とは、連合軍側の外電やラジオを傍受して必要な情報を分析し、陸軍と外務省に情報を提供することだった――。客観的事実の「報道」か、国策のための「宣伝」か…時代に翻弄された通信記者の葛藤を描く。

ニュースソースの分析を一手に引き受けるという状況設定に際して、即座に外務省はもとより陸軍までもが情報共有を求める(ま、強制ですな)あたりからして、客観的事実を伝えるという自律的な報道は抑制されるであろうことが推測されますけれど、時局の転換(悪化)に伴って、その動きは加速度的に進むのですな。そんな中、あくまで客観的事実の報道こそが公共の利となると考える大岡、「おかしい」と思っても保身に走って口をつぐむ黒田、今こそ国の広告塔となることをこそ国策に敵うと言ってはばからない谷川、この三者三様の考え方がぶつかり合うのですが、当時の庶民に近しい存在は後二者ではなかったかと。余談ながら、合併してできた同盟通信において最も国寄りに強硬発言する谷川が電通側の出身であるとは、含みがあるんだか無いんだか…。

 

物語的には大岡に肩入れしたくなるところですけれど、時の状況をよおく考えますと、黒田の存在を軽くあしらってはいけんような気がしますですね。人間だれしもが持つ「弱さ」…と語ること自体、自分のことを差し置いて的になりますですが、間違いなく「いる」人物であって、自分かもしれない、すぐ隣の人かもしれない、そういう人を頭ごなしにとやかくはいえないわけで。このあたり、遠藤周作ならば黒田の「弱さ」に着目して、全く別のストーリーを描いていたかもしれませんですね。『海と毒薬』を思い出すまでもなく。

 

ところで、公演に入場する際に「二大通信社トップが語る 報道とは何か」という対談記録が配付されたのですな。その中で語られた通信社の役割、これを最後に振り返っておこうかと。

…新聞社には社論(社の考え方、方針)があろうかと思いますが、通信社が社論を持ってしまうと、多メディアに流すニュースに色が着きかねない。それは同盟時代の反省でもあり、無色透明とまで言うと語弊がありますが、公正中立なニュースの発信に自覚的でなければと考えているのです。一定のベクトルを持たないニュース、と言ってもいいでしょうか。

色の着いていないニュースを得て、受け手としては(ニュース鵜呑みでなくして)それぞれの考え方で判断する必要があるということになりましょう。リテラシーが必要だという心構えが受けての側にも必要であろうかと思うところです。もちろん、前提として上の発言のような感覚で臨む記者の存在は必要ですけれど(近頃もなにかと危うくなっていたりも?)。

 

で、芝居のことですが、久しぶりに「芝居らしさ」を満喫しましたですよ。一幕一場、そこにある舞台設定は最初から最後まで不変という、限られた空間の中でいろいろと見せる演出は舞台ならではですものね。