ということで、東京・小金井市の江戸東京たてもの園を訪ねて、特別展「日本のタイル100年 ー 美と用のあゆみ」を見てきたというお話の続きでありまして。
基本的には衛生面から国が率先してタイル利用の啓発に努めたわけですが、状況の変化はほどなく見舞われる関東大震災による復興の中で、否応なく進んだようではありますね。再建建物にたくさんのタイルが使われるようになり、また昭和初年に開通した東京の地下鉄はそのモダンさのアピールをタイル貼りに託してもいたようで。
予め欧米を視察した結果として、タイル装飾が多く使われているところから採用に至ったそうですな。言われてみれば、ロンドンの地下鉄駅でも壁一面がタイルで埋め尽くされているようでもあったかなと。今は駅のリニューアルが進んでいるかもしれませんけれど。
モダンさの一方で、衛生面でのタイル使用は銭湯などが良い例でありますね。内風呂がほとんどない明治期に、銭湯で入浴することは個々の人にとって清潔さを保つ役に立っていたものの、「浴槽のお湯の汚さや、伝染病の温床としてのリスクはたびたび指摘され」るほどに「銭湯自体の衛生状況は良くなかった」とは、いやはやです。
そういえば、子供の頃に住まった地域にあった銭湯は「あさくさ湯」と言われてましたなあ。本来の名前は全く違うものだったのですが、要するに「浅くて臭い、あさくさ湯」と…。通ったのは昭和の時代ですので、もはや汚名返上の浴場内であったと思いますが、昔むかしからの呼び名ばかりが独り歩きして残されてしまったのかもですね。
またしても余談はともかく、大正期になりますと銭湯に対して、衛生面の配慮から浴室の「表面を陶磁器や人造石などで仕上げる」よう求められるようになりまして、タイル張りが進んだのであると。
本来、真っ白いの基本であって、汚れが目立つ以上はちゃあんと掃除を行き届かさなければならん、要するに店側がきちんと掃除していることが見た目でわかることにタイルの利点がありますが、銭湯にタイル張りが広まるにつれ、余禄として?「タイルに染付を施して描く「タイル絵」が取り入れられ、浴室を彩ったのだそうでありますよ。
かつて銭湯がたくさんあった頃、商売敵に差をつけるには「富士山のペンキ絵」などは当たり前で、こうしたタイル装飾でも差別化を図ったのでしょうか。個人的にはあまり印象に残っていないのですけれど…。
ともあれ、タイル張りの清潔感はやがて個人宅にも導入されていきますな。江戸期まではもとよりその後もしばらくは住まいの外にあるのが当たり前であった便所が屋内に設けられるようになる中でタイル張りが採用され、また土間から進化した台所の水回りや内風呂の普及にもタイルは欠かせないものであったわけで。1960年頃でも、こんなモザイクタイル張りの個人宅用浴槽が出回っていたようです。
老舗(というか単に古いというか)の温泉宿では今でもタイル張りを見かけることがありますが、今さらに思い出すのは床面までタイル張りになっていると、滑りやすいという危険性が伴いますな。ま、この点に関しては展示解説に言及はありませんでした…。
ただ、こうしたモザイクタイルが使用される時代になってきますと、むしろ眼目は装飾性の方に移ってきているような。それだけにタイルの活躍の場はむしろ屋外、多くの人の目に触れる場所へとシフトして行ったようでもあります。タイルそのものの加工・装飾技術が進んでいって、大きな建築物の外装に使われていくと。新宿西口に並び立つ高層ビル群の一角に新宿NSビルがありますけれど、ひと頃の(未だガラス張りの壁面が多用されるに至っていない時代の)いかにもな近代的ビル(新宿NSビルは1982年竣工)にも外装用にタイルが使われていたのですなあ。
鏡面仕立てであたかも金属のように思えるところながら、これはチタンを蒸着させてあるということです。と、活躍の場を変えながらタイルは使用されてきたものの、先ほども触れましたように大型建築物にはガラスが多用されるようになって、いささかタイルには翳りが見えてもいるそうな。市場としては小さいながらも、気に入ったデザインのタイルを個人宅でワンポイント装飾のように使う形はありましょうから、全く無くなったわけではありませんが。
こちらは新しいのではなくして昭和初期に作られたというタイルですけれど、ヨーロッパの街角で骨董市のようなものがあると出回っていそうな感じかと。日本でも、こうしたタイルをひとつひとつのデザインを見てお気に入りを発見し、さりげなく自宅を飾ったりするようになってきているのかも。かつて新しいものであったタイルは、今ではそのレトロさ故に見直される一面を持っているいるのかもしれんなあと思ったものなのでありました。