前回(7/23放送分)のEテレ『クラシック音楽館』を(例によって遅ればせながら録画で)見ていて、あれこれと思い巡らしを。放送されたのは「いまよみがえる伝説の名演奏・名舞台カラヤン×ベルリン・フィル」というこで、1970年代のライブ映像を最新技術でリマスターしたのであるとか。確かに見やすくなっていると思いましたし、その一方で映像化にあたってカラヤンがこだわったあたりをつらつら考えてみることにもなりましたですなあ。

 

クラシック音楽の演奏会をライブ収録した映像というのは、例えば『クラシック音楽館』でNHK交響楽団の定期演奏会が見られるわけですけれど、およそ限られたカメラ・アングルでしか撮れないものでありましょう。さりながら、カラヤンの場合は「いったい何台のカメラを持ち込んでいるのであるか?」と思うのですなあ。

 

かつてカラヤン演奏の映像とは、指揮者カラヤンがいかに「映える」ように映し出されるかを入念に考えて作られた…てなふうにも言われていましたですが、そうした面が無いとはいえないと改めて。さりながら、カラヤンの思惑は自らをかっこよく見せるのは「部分」なのだろうなあとも思ったわけで。つまり、音楽作品の全体を最良のものとして残すことへのこだわりといいましょうかね、そうしたものがあったのではなかろうかと。指揮者の「映える」姿というのも、その一部というわけで。

 

映像以前、音楽作品を音として残す録音においても、やはり最良のもの(もちろんカラヤンが解釈したもので好悪は分かれるかもながら)を残さんがため、折々、例えば録音技術に新しい革新がもたらされると、何度取り上げた曲でもまた新しく録音するとかいうことがありましたですね。指揮者として楽曲に対してちと解釈に到達したのでその成果を新録音で示してみせるといったことでは必ずしもなく。これって、おそらくは指揮者一般に言えることではない、カラヤンらしいところもでありましょうか。

 

それだけに出回るレコード(CD)の数は膨大になり、旧録は廉価盤にまわる。新録盤に比べて安価なだけに、手に入りやすかったのでしょうか、個人的にも子供のころ、最も早く手に入れたクラシックのLPレコードはカラヤンのものでした。オッフェンバックの『天国と地獄』序曲が入っている一枚で、オケがフィルハーモニア管とはそれだけで時代を感じさせますですねえ。

 

とまれ、再録を繰り返して常に(自身にとっての)最良演奏を残そうとしたカラヤン、映像においてもまたしかりということになりますかね。今回のTV放送を見ていて気付かされたのは、ライブ映像ながら客席の写り込むが最小限で、しかも遠くから撮っているということ。N響定期のライブ収録などでは客席に背を向けた指揮者をクローズアップすると、ステージ近くの客席に座る人たちはその表情が分かるくらいに写り込みますが、それが全くない…というより、そうあってはならないとカラヤンは考えたのではないですかね。音楽演奏の映像を最良の形で残すには、個々の聴衆の表情などは無用、むしろ入りこんではならないというわけで。

 

また曲のところどころで、目立つフレーズを奏する楽器セクションのクローズアップが入りますですね。例えば金管楽器、トランペットやトロンボーンが綺麗な砲列を並べる姿(例えですけれど)は実に「かっこええ!」瞬間であるわけですが、よおく考えてみますと実際の演奏会において、あれだけ楽器のベルの高さがきれいに揃うことって稀有なことではないかと。そんなふうに思うと、個々の楽器大写しの部分は別撮りの挿入映像なのではと思ってしまうところです。まさに最良の映像作品を残すためには手段を問わない。まあ、(ライブではないにしても)録音の場合でも別テイクを切り貼りすることもあったでしょうしね。

 

というわけで、オーケストラ演奏会でさえ、自らの主演・監督による映像化作品として仕上げてしまう(?)カラヤンですが、果たしてオペラ演出、というよりオペラの映像化演出ではどんなふうであったのか…と思ったものですから、ちと古い映像(1960年)ながらR.シュトラウスの『ばらの騎士』をDVDで見てみることにしたのでありますよ。

 

 

ですが、これはちと古すぎましたなあ。1960年のザルツブルク音楽祭記録映画という触れ込みですけれど、カラヤンにとって目の上のたんこぶ的なフルトヴェングラーが1954年に亡くなって、カラヤン帝国の発展途上にあるものの、演出までをカラヤンが握っていたわけでないようですな。ライブ・オペラの映像化という点では、後に「METライブ」のような配信で見せ方にはずいぶんと工夫が凝らされてきていることを思えば、実に素朴な映像というべきでしょうか。

 

ですからオペラ本筋の方の見せ方にカラヤンの意向がどの程度入り込んでいたかはわかりませんが、こと序奏部分や幕間の導入部など、幕が開かないうちのオケだけ部分では、「こんなに指揮者にばかりクローズアップするかあ?」という印象は確かに。まあ、このとき52歳のカラヤン、(業界的には)まだ若く、自分自身にこそ注目を集めたいという意識がより強かったのかもしれませんですね。ちなみに、この頃はまだ目を開けて振っていたようで。

 

ということで、なにかつけ好悪の分かれるカラヤンですけれど、そのこだわりの一端に思いを致す機会となったのでありましたよ。