東芝未来科学館のことを書き始めてふいと思い出したのは、こんな歌でありましたよ。♪光る光る東芝 回る回る東芝…という。ひと頃は、TBSの日曜夜9時に「東芝日曜劇場」というドラマ枠(現在は単に「日曜劇場」というらしいですな)がありまして、そのオープニングに歌われておりましたなあ。なんとこれには「光る東芝の歌」というタイトルまであるとは。

 

とまれ、そんな東芝のテーマソングの冒頭が「光る光る」であるのは、会社の歴史を反映しているのでもありましょうか。合併会社の片方、芝浦製作所に繋がる田中久重の興した事業はその後の重電メーカーたる東芝の礎となったわけですが、もう一方で藤岡市助が創業した白熱舎(後の東京電気)はその名の通りに白熱電球を主力商品として、家庭を明るくしたのですしね。

 

 

もっとも松下(現在はパナソニックですか)でも♪明るいナショナル~と歌っていまして、よく知られておりますように松下幸之助が電気用のソケットを作るところから始まったのですよね。いかに電気と光が関わり深いかということになるわけですが、1917年(大正6年)創業の松下に対して東芝では(と肩入れするわけではありませんですが)、1890年(明治23年)に藤岡が白熱舎を立ち上げ、白熱電球の国産化(それまでは輸入してたんですかね)に取り組んだのであると。

 

 

白熱舎はもちろん電球ばかりを作っていたわけではありませんで、電車のモーターの製造やら日本初の電動エレベータの設計やら、さまざまな取り組みがあるのでして、日本初のエレベータはあの「浅草十二階」と言われた凌雲閣に採用されたということでありますよ。

 

 

ただ、電球を切り口に事業を始めた点からも(推測ですが)民生品への指向は早くからあったのではなかろうかと。その後、いわゆる家電という称される電気製品が続々誕生していくことになるものですから。例えば、このような。

 

 

形から想像がつくものと思いますが、こちらは1930年(昭和5年)に誕生した日本初の電気洗濯機であると。当初から脱水機能(洗濯物を上のローラーの間を通して水を絞る)が付いていたのですなあ。その後、約20年にわたって国産唯一の洗濯機であったそうですよ。

 

 

こちらの方がさらに形で判断しやすいでしょう、洗濯機と同年(1930年)に送り出された日本初の電気冷蔵庫です。「金庫を思わせる堂々たる風格」とは、それだけ高価な、憧れの的ともなる商品だったのではなろうかと。個人的な記憶の限りでも、他の家電、テレビやステレオなどもかつては(置き場に困るほど)堂々とした存在感でしたものね。

 

 

1931年(昭和6年)には日本初の電気掃除機が出てきます。ゴミを溜める袋が実用本位(デザイン性に乏しい?)ですが、こうした形の掃除機はむしろ新しい製品にもあったのではなかったかと。

 

 

なにやら初もの尽くしのようになってきてますが、1940年(昭和15年)に誕生した日本初の蛍光灯…ですが、白熱電球とは異なる明るい光を生み出しながらも時局は戦時下へと向かい、灯火管制が行われるとは皮肉なもので…。ですが、戦後になって光が蘇ってきますと、これまた日本初というサークラインが出回るようになるのですなあ。

 

 

「もはや戦後ではない」と言れるようになる高度成長期に先駆けて、家庭を明るく照らしたのですなあ。そんな家庭団欒にひと役買う家電商品が引き続き誕生してくことにますな。

 

 

1955年(昭和30年)には日本初の自動式電気釜(今で言う自動炊飯器ですかね)が登場、ちなみに左隣はゆで卵を作る機械だそうで。そして、家庭団欒の決定打がいよいよ出てきます。

 

 

1960年(昭和35年)、日本初のカラーテレビが世に送り出されたのですね。もちろん、それ以前に白黒テレビはあったものの、当時から―のインパクトは大だったでしょうなあ。新聞に全面15段ぶち抜きの広告を打つくらい、送り出す側も気合が入っていたようで。

 

 

と、ここで(全くの個人的興味で食い付いてますが)1960年(昭和35年)9月10日、カラーテレビの本放送が開始された当日の毎日新聞テレビ欄(下の画像は部分)には、ちと見入ってしまいましたですねえ。

 

 

展示にあたっては「番組欄の中でカラー放送を判りやすくするため赤枠で表示しました」と注記されておりますが、カラー本放送開始とはいえ、ご覧のようにカラーはほんの一部の番組だけで、残りは全て白黒のままだったのですなあ。どうやらスポーツ中継とか、舞台中継とか、そのあたりが最初のカラー放送ということになりそうです。しかしまあ、プロ野球中継が「国鉄対巨人」(雨天中止の場合には代替として「西鉄対南海」)とは。今もチーム名が生きているのは巨人だけですか…。

 

ついでなので、1953年(昭和28年)2月1日、テレビ(もちろん白黒の)本放送が始まったときの新聞も参照しておきましょうか。

 

 

全面ラジオ番組欄と思しきところの、ほんの片隅に小さく囲ってテレビの放送内容が記されておりますな。カラー放送が始まるまでの7年ほどの間に、すっかりテレビとラジオの存在感は逆転したということになりましょうかねえ。

 

と、この後も家庭用電気製品の数々が展示されておりまして、それ以外の重電関係の紹介ももちろんあるわけですが、ことほどかほどに「東芝の家電」にこだわって見てきましたのは、両親が東芝系列の、いわゆる町の電器屋さんと長年の付き合いでもって、家の中はおよそことごとく東芝製品であったという、個人事情が関わっておりまして。さりながら、その東芝は白物家電の分野を中国企業に売却してしまったとは…。

 

なんでも白物家電で「東芝ブランド」は(2016年の売却から)40年間は使ってよろしいということになっているそうですから、今しばらくは東芝ブランドの洗濯機、冷蔵庫などが販売はされるのでしょうけれど、その実は東芝製品ではないということに。カレーテレビ放送に触れて、プロ野球のチーム名に時の隔たりを感じたりしましたけれど、そんな感懐を抱くのも野球チームの話ばかりではないということになりますかね…。