スパリゾートハワイアンズの大きな屋内プールを取り囲む建物の中。日帰り利用者のための無料休憩室などが入っていて、水着姿で歩く人たちが通り過ぎる通路のところに、ひっそりと「それ」はありました。

 

 

通りすがりにちらと覗く人がいる傍ら、じっくりと見て周っているのはごくごく少数でしたですが、同施設HPにはこんな紹介文が載っておりますですよ。

ハワイを代表する文化となった「フラ(フラダンス)」の歴史的背景や物語、楽器などの紹介、フラの日本での爆発的ブームのきっかけとなった映画『フラガール』、また映画のモデルになった炭鉱町とフラガール達の生い立ちを、パネルや貴重な資料などで余すところなく展示しております。

映画『フラガール』でも当然に触れられていた常磐ハワイアンセンターとフラガールの誕生の背景には常磐炭礦の閉山があったわけで、ここへ来てそのことに素通りできようはずもなく、個人的には極めて関心の高い内容だったのでありますよ、「フラ・ミュージアム」は。

 

 

ということで、まずは「常磐炭田の歴史コーナー」をじっくりと。自給エネルギーに乏しい日本にあって、かつては「黒いダイヤ」とも呼ばれた石炭の産出、つまり炭鉱としては九州(三池とか)や北海道(夕張とか)がよく知られておりますけれど、福島県南部(磐城)と茨城県北部(常陸)にまたがることから名付けられた常磐炭田は本州最大であるともに、一大消費地である東京(とその周辺の工業地帯)に近い立地から、明治以降の出炭量はうなぎ上り。ピーク時には3万人を超える人々が働く(となれば、家族を含めると相当な人口になりますな)炭鉱町となっていったようでありますよ。『フラガール』に描かれたのは閉山間際の最終形ながら、炭鉱住宅が立ち並ぶさまが再現されておりましたっけ。

 

 

 

「一山一家」とは映画の中でも見かけたフレーズですけれど、炭住に軒を接して暮らす者同士、相見互いの生活を送るばかりか、企業ぐるみで会社ごと家族といった発想は常磐炭礦に限らず、日本の高度経済成長期を支える根源にもなっていたのでしょうなあ。個人的にも、子供の頃には父親の会社の運動会に行ったり、社員感謝デーみたような企画でもって浅草の国際劇場に招待されていったりしたことを思い出したりもしましたですよ。ところで、企業としての常磐炭礦の成り立ちはこのように説明してありました。

常磐炭礦株式会社は、昭和19(1944)年に創立しました。入山採炭株式会社(大倉喜八郎が設立した大倉財閥系)と磐城炭礦株式会社(浅野総一郎が設立した浅野財閥系)が、第2次世界大戦による石炭増産を図る国策により合併し、常磐炭田最大の企業が誕生しました。

先日、川崎ゆかりの人物として名前の挙がった浅野総一郎にここでまた出くわすとは思いもよりませんでしたが、セメントばかりでない一面が窺えました。が、起業家としては「会社は家族」といったアメも与える一方で、ムチとはいわずも炭鉱夫たちが携わった環境は酷悪ともいえそうで。何しろ「石炭一トンを掘るために四十トンの温泉をくみ出」さねばならないほどであったとは、灼熱地獄と言われるのも当然かと。結局のところ、三池や夕張の閉山後と異なって、ハワイアンセンターという新規事業に転換できたのは、灼熱地獄であった故なのですけれどね。

 

 

そんな坑内作業に従事したのが男たちなら、掘り出された石炭の良し悪しを選別する作業(選炭作業)は女たちが担っていたようで。映画の中では主人公・紀美子(蒼井優)の母親(富司純子)が「選炭場、選炭場」と言ってましたなあ。

 

 

でもって、選炭作業の結果として廃棄される部分を「ズリ」と言ったそうですが、このズリの廃棄場はいつしか大きな山をなすようになって「ズリ山」と呼ばれるように。九州の炭鉱で言うところの「ボタ山」ですなあ。映画では背景として堆く積みあがったズリ山が映しだされていましたですね。相当な高さに見えたものですから、もしかしてスパリゾートハワイアンズの玄関前から見えていた「あの山がズリ山であるか?」とも思ったり。

 

 

元は石炭ガラの山ながら、後には植栽が施されたようには聞いていましたので、そんなふうにも想像しましたが、さすがにこれは標高593.6メートル天然自然の山、湯ノ岳であると。いくら何でも人工的に500m積み上げるのは無いでしょうなあ。

 

とまあ、一時は国の基幹産業の一翼を担った常磐炭礦ですけれど、昭和30年代から始まった石油へのエネルギーシフトによって炭鉱は次々に閉山していくことに。常磐炭礦も決して例外ではなかったわけで、昭和46年にいよいよ閉山ということに。

 

 

大勢の解雇者を出すことになるもそれを見越した新事業が展開されるあたりが、これまた映画『フラガール』に描かれたところでありますね。というわけで、常磐炭礦から常磐ハワイアンセンターへ、フラ・ミュージアムのお話はも少し続きます。