三重テレビが制作した『斎王』を見て以降、毎年特別番組として作られるシリーズを楽しみにしておるのですね。あいにくと三重TV自体の放送を見ることはできませんので、TVKとかテレ玉とかそういうローカル局で再放送されるのを拾っているわけですが、結構拾いきれないこともありまして、2022年度に放送されていた『にっぽんの道』なるシリーズに至っては2、3話しか見られず仕舞いでありましたよ。
で、その『にっぽんの道』(全10話)のうちの「第九話 伊勢西国三十三所観音巡礼」を見ております時に「ん?!」と思うことがあったのですなあ。観音巡礼の道を巡ってたどりついた二十四番札所である荒神山観音寺でもって、幕末期に大勢の博徒が大立ち回りを演じた「荒神山の決闘」はこの寺の裏山で展開されたのであると。そして、その後に話が講談や浪曲などを通じて広く知られるようになりますと、「次郎長伝」、取り分け「石松三十石船」で知られる浪曲師・二代目広沢虎造が「吉良仁吉の碑」を建て、それが今も残るのであると。
かつて清水次郎長のことは山岡鉄舟との関わりからいろいろ知るところはありましたけれど、荒神山の話は「荒神山の決闘(荒神山の喧嘩)」という言葉だけ知るのみだったという。さりにながら、吉良仁吉の名前には聞き覚えがあったものですから、いったいどこでどうしてと思い巡らしておりましたが、ふっと思い出すことに。村田英雄が歌って大ヒットした(といっても激しく昔ですが)『人生劇場』の三番に「吉良の仁吉は男じゃないか おれも生きたや仁吉のように」という歌詞があるのでして、我ながら実にどうでもいいことが記憶されていたものです(苦笑)。
ではありますが歌にも歌われた(という以上に歌の原作たる尾崎士郎の小説『人生劇場』にも主人公と同郷らしい仁吉が出てくるかもですが)吉良仁吉、さらには仁吉がそこで命を落としたという荒神山の決闘はどんなふうなものであったのか、いささか気になって来たのでありますよ。概要についてはWikipediaでも分かるところながら、手っ取り早く参照した映画が後から思えば山のように脚色を施してあり、いやはやなんとも…。
ともあれ、荒神山のエピソードの絡む『勢揃い東海道』(1963年)という一作を見てみたのですけれど、タイトルにある勢揃いって「何が?」と思えば、当時の東映時代劇スターが「勢揃い」という、映画としては豪華版なものであったようでありますよ。清水次郎に片岡千恵蔵、吉良仁吉に大川橋蔵、山岡鉄舟に市川右太衛門、敵役になる安濃徳に山形勲、黒幕の黒駒勝蔵に月形龍之介といった布陣。ついでに言えば仁吉の連れ合いが美空ひばりで、脇の方まで目をむければ、大友柳太郎、近衛十四郎、東千代之介、萬屋錦之助と並び、北大路欣也、松方弘樹、里見浩太朗あたりなど若い若い。
それにしても大したキャストで、これだけ出してくるとそれぞれに花を持たせることも必要でしょうから、過分な脚色も宜なるかなと。ただ、こうした耳朶劇映画などが見る側に歴史の誤解を与えたりもするのだろうなあとは思うところですけれど、考えてみれば誤解の刷り込みは何もこの映画に始まったわけではありませんですよね。赤穂事件の実際よりも文楽や歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』の方が圧倒的に面白くできてますでしょうし、真田幸村が大坂城に駆けつけるあたりは講談の畳みかける名調子で聴くのが楽しいわけで、もはや史実かどうかはともかくもの世界。だいたい真田幸村という名乗り自体が講談経由で定着したなんつう話のようでもあって、いざ大河ドラマ『真田丸』で信繁、信繁と言われてもぴんとこないとか。
つまるところ、仮に史実を知っていたとしても、オールスターキャストの芝居作りなどでは誰がどのキャストを演じて、それぞれに見せ場をどう設けるかというのも、制作する側の腕の見せ所なのかも。あんまりとやかく言うことよりも、楽しんじゃいましょうよ…ということですかね。本作にしても、Wikipediaの記載では「神戸側の助っ人であった吉良の仁吉の死の報に兄弟分の清水次郎長は東海道の博徒480余名を動員。伊勢の神社湾(かみやしろわん)に2隻の船を乗りつけて…」となっているところを、片岡次郎長率いる精鋭三十名ほどが縞の合羽をなびかせて東海道をひた下り、多勢の敵が待ち受ける中へと乗り込んでいく、てな方が断然かっこいいでしょうから…って、ほら、ずいぶんな脚色でありましょう(笑)。