クラウゼヴィッツの『戦争論』。古典的な著作として夙にその名の知られた書物ですので、一度読んだことはあるとは思うものの、全く内容を覚えておらず…。ここでは、翻訳で出ている岩波文庫の紹介によればこんな内容であるとだけ。

ナポレオン一世により本質的な変貌をとげた戦争形態たる国民戦争を精密に分析して,近代戦争の特質を明らかにした戦争哲学である.なお,戦史の理論的問題に正しい視点を提示し,戦争と政治・戦争の原型・戦争の本性を明らかにする.軍事専門家のみならず,エンゲルス,レーニンなどにも多くの影響を与えた.

振り返り見た「戦争」というのがナポレオン戦争であったということさえ忘れているのですから、本当に読んだのかいね?と自ら突っ込みたくなるところですけれど、ともあれそんな『戦争論』はいかにして書かれたかといったあたりを小説の題材に取り上げたのが、霧島兵庫の『二人のクラウゼヴィッツ』でありましたよ。

 

 

タイトルにある「二人の~」とは、この論考を書いたカール・フォン・クラウゼヴィッツ本人とその妻マリーのことですな。世に出すことを企図しながらも、決定稿に至っていないかもしれない原稿を遺して病没してしまった夫に代わり、出版に手を尽くしたのがマリーであったと。マリー自ら序文を添えていることもあってか、『戦争論』が二人のクラウゼヴィッツによって後世に残されたということでしょうかね。文庫版で『二人のクラウゼヴィッツ』と改題される前、初出時のタイトルが『フラウの戦争論』であったことからすれば、マリーの関与はさらに大きかったと想像することもできましょう。

 

実際に書いたのはナポレオン戦争における数々の戦いを目の当たりにしてきたカール(本書ではカルル)であるとしても、戦後に振り返って「戦争」なるものに思いを馳せる際、妻マリーとの、さらにはマリーの母である伯爵夫人との日常的なやりとりの中には(いささか大仰に言えば)家庭内戦争における戦術、戦略を敷衍して語れるような事柄も多々あったようですので、そうした点でも関与が無かったとはいえませんですね。

 

そんな家庭状況の中でカールが四苦八苦しつつ執筆に勤しむようすと、直近の戦争事例として振り返るナポレオン戦争におけるイエナ、モスクワ、ライプツィヒ、ワーテルローなどの戦いのようすとが、小説には交互に綴られているわけですが、前者の部分ではカールとマリーと伯爵夫人と三つ巴の心理戦が軽妙に、ともするとおちゃらけて?描かれておりますな。これはこれで面白く読めるとはいえ、あまりに「今風」な語り口に(古風な人間としては時に)付いていきにくい部分もあったりするのでありますよ。

 

まあ、戦闘を語る部分でもまた、軽いやりとりの応酬があったりしますけれど、それでもどちらかといえば個人的にはこの部分こそ興味深く思えたところでありますよ。偏に、近年になって初めてトルストイの『戦争と平和』を読破(!)したり、はたまたドイツのライプツィヒやベルギーのワーテルローでは戦いの痕跡に触れたりしてきたことにも寄るところ大ではありましょう。そういえば、ライプツィヒに到達する前に滞在したイエナでも、戦跡を歩き回る目論見はあったものの公共交通機関の情報がつかみきれずに諦めたですが、本書でもってイエナ・アウエルシュタットの戦いがつぶさに語られるところに接しますと、行っとけばよかった…との思いがふつふつと湧きおこったりも。

 

とまあ、個人的な思い出話はともかくも、本書をしてさも軽口ばかりのように言ってしまいましたですが、そもそもの『戦争論』の内容にも関わって、こんな記述もなされるのですなあ。もちろんカールの言としてですが。

暴力は際限なく増大する。戦争もまた、同様に。
…ナポレオンを見よ。彼の者は敵を完全撃破する決戦の遂行によって、瞬く間に全ヨーロッパの覇者となってしまったではないか。やはり戦争の本質は闘争であり、無制限の戦争、すなわち絶対戦争の遂行こそがその本質に適うのであろう。
だがしかし、人類の歴史はこの結論を支持しない。過去の戦争をひもとけばひもとくほど、国境線を巡る小競り合いや兵力展開によって相手国を威嚇するだけの、敵の完全打倒の前に集結している制限戦争ほとんどではないか。
つまり、何者かが歯止めをかけている、暴力が際限なく増大しないように、まるでどう猛な犬に鎖をつけるかのように、暴力の行使に当たって方向性を示し、さじ加減を操っている者が戦争の背後にいるのだ。

その後、クラウゼヴィッツが目の当たりにしたところを遥かに超える激しさと悲惨さが伴う戦争が起こってしまうのは、後のお話とはなりますけれど、18世紀初頭に実際に起こった戦闘もまた、その当時として相当以上に酷い戦いであったと改めて。ライプツィヒ戦跡やワーテルロー戦跡ではそれぞれの歴史博物館を覗いてきたところながら、さすがに言葉の壁もありまして、その実態を掴むに至っていなかった(ワーテルローの博物館の別館であるウーグモン農の展示ではいささか想像が及びましたが)ものの、本書の戦闘描写によってようやっと掴みかねていたところを掴んだようにも思えたものでありますよ。

 

まあ、同じナポレオン戦争を扱って描くところは異なるにもせよ、『戦争と平和』に手が出しにくいとしても本書の方であればもそっととっつきやすかろうと思うだけに、個別の戦いの名称を歴史として記憶するだけでなくして戦闘の状況を知る入口としては打って付けなのではなかろうかと。もちろん、それを描いて「戦争とは…」に思いを馳せる入口という意味でも。