いささか書きはぐれておりましたですが、先日(2/13)に東京・立川市の国文学研究資料館(国文研)へ行ってまいりました。いつもは展示を見にいくところですけれど、この日はトークイベントが開催されたのでありました。フライヤーには「その話を、どんな本で読んでいますか?」とありますが、当日にはこれが「その話に、どんな本が出てきますか?」に変わったことが告知されましたですよ。
タイトル変更からして、全然違う話になるのでないの?と思ったところながら、『「本」の時代の物語』という副題からすれば決して遠からずとは、後になって気付いたのではありますが。
そもそもの「どんな本で読むか」と言われて、場所が国文研なだけに中世、近代に写本の数々があり、いずれの本にも多少の異同がありましょうことに関わった話かと思ってりもしたですが、登場した講師は日本近代文学の研究者でして、分けても永井荷風が専門であるとか。では、近代文学において「どんな本で」とはどういうことかと思えば、本というか、書籍というか、書物というか、そうした「モノ」にも文明開化は関わっていたのであるなと知ることになったのでありますよ。
なんとなれば、今「本」と聞いて当たり前に思い浮かべる「モノ」が、明治においては決して当たり前の「モノ」では無かったのですな。つまり江戸期までの日本の本のありようとは異なる本が出回るようになってきたのが明治、いわゆる「洋装本」というやつで。
これの浸透具合を理解する一助として講師がスクリーンに映し出したのが、明治9年発行という『改正画引小学読本』いうもの。黎明期の学校教材として使われた絵解きの字引のようですけれど、この中に「書冊」という見出し語があり、カタカナで「ホン」と説明され、どういう代物であるか図が示されているという。つまりは「本(ホン)」とはなんぞといって絵で見せないとよく分からないというのが、明治の初め頃だったのですなあ。「どんな本で読むか」といって、今当たり前に思い浮かべる洋装本が当たり前では無かったというわけです。
で、何ごとにつけ欧米偏重であった文明開化期、当然のように洋装本が有難がられて、取り分け皮装に金文字押しの本ともなれば貴重なものとされたわけでして、(このあたりから「その話に、どんな本が出てきますか?」に関わってきますが)例えば明治40年(1907年)新聞連載の始まった夏目漱石の小説『虞美人草』は、本に目の眩んだ男の物語でもあるのだと。
このお話はついつい藤尾というヒロイン像にばかり目を向けてしまいそうになりますけれど、主人公・小野は藤尾の家で「硝子戸の中に金文字入りの洋書」の数々を見出すと、「腰を屈めながら金縁の眼鏡を硝子窓に擦り寄せて余念なく見とれてゐる」、そんな人物であったりするのですなあ。まあ、漱石自身、ロンドン留学に当たって本を山と買い入れて窮迫生活を強いられたりするのですから、幾分かは作者自身の投影であったりするのかもですね。
ところで『虞美人草』の書かれた明治末になりますと、いわゆる「洋装本」は普通の出版形態として本格化していったようですが、それが故に洋装本という形が歴とした「本」のイメージを作り出すことにもなったか、それらしい体裁でもって贋作本が出回ることになったのであるそうな。要するに、体裁を整えて有名作家の名を騙り、中身はどこの誰とも知れない人物が書いたといった類い。そうはいっても、絵画の贋作ほどではないかもながら、それなりに本来の作者らしい文章が追求されていたりもしたのでしょうなあ。永井荷風は贋作された実体験を踏まえて『来訪者』なる実験小説(?)をものしているということでありますよ。
まあ、文学界にかような真贋問題が生じたことも関わりましょうか、あるときから作家の自筆原稿というのが有難がられる(市場で取り引きされる)ということにもなったようで。体裁いい形で出版されていても真贋見極め難しというときに、自筆原稿こそが真正なる作品であろうと考えるのはありそうな話です。もっとも、そうなればそうなったで筆跡を真似るといったことも出てきたかもですが、それは今回のお話の埒外で。
一方、ひとつの作品が増刷改版などのタイミングも含めて、さまざまな形で出回ることに、こだわりの版元の方としては「これこそが真正唯一である」と言わんばかりの本づくりをするところも現れたようで。昭和初期の話にはなりますけれど、その頃にあった野田書房という出版社ではの主人による「『地獄変』造本記」なる一文の中で、芥川龍之介の『地獄変』を新たな形で出版するに際しての意気込みが語られておりますよ。
…いろいろ御参照下されば、かなり他の本と違つた個所が御座いますが、どうか此の限定版「地獄変」が一番正しいものとお信じ下さい。お信じ下さいましていゝだけの努力は、致したつもりで御座います。
こうしたこだわりを突き詰めていきますと、戦後の一時期に存在した細川書店が志賀直哉の『網走まで』を出版するにあたり、本の見開き2ページを原稿用紙であるかのように20字×20行で活字を組んで印刷したのであると。なんとなれば作者が原稿用紙を埋めていったときに考えたところが一番伝わりやすいとも、考えたのだようでありますよ。もちろん、自筆原稿のそのままでは無しに浄書された前提でとはなりますが。
と、このあたりまで来ますと、作家にとって自分の「作品」であるというのは、いったいどこまでのものを言うのかいね…と考えたりしてしまいますなあ。適当な例かどうかはともかく、作曲家にとって自らの音楽作品は楽譜の上に表されるわけですが、楽譜こそが作品ではないしょうから、そのあたりも類推しつつ…。
とまあ、すっかりトークイベント本来の話から逸れて、個人的な思い巡らしに入り込んでしまいしたですが、こうした思い巡らしを生むということ自体、面白いと思える内容だったと言ってよかろうと思っておる次第でありますよ。