思いがけずも登呂遺跡のお話が長引いてしまいましたですが、実は登呂遺跡の傍らに、まあ遺跡自体とは特段の関わりのなさそうな施設があるのでして、そちらの方にも立ち寄ってみた次第。静岡市立芹沢銈介美術館でありましたよ。

 

 

民藝運動の柳宗悦と関わり深い染色家の芹沢銈介の美術館ということで、勝手に東京・駒場の日本民藝館のようなイメージでおったところが、この美術館はまずもって建物がなかなかに異なものでありましたなあ。

 

 

壁ばかりか建物全体が石積みでできているような。「石水館」との名付けもむべなるかなの印象です。設計したのが建築家・白井晟一と聞けば、飯倉交差点にあるNOAビルを思い出し、「なるほどねえ」とは思うところでもあろうかと。

 

 

ですが、こちらを見ると西洋のお城を思い浮かべたりもするような。館内は撮影できかねるところながら、もはや教会堂内かという気もしてくるのですな。そも「石水館」との名付けは、京都・高山寺の石水院に因むもののようでして、「登呂遺跡の雰囲気に事前に溶け込むように、石や木、水といった天然素材で構成」されているのですよと、「石水館」案内リーフレットにあることからすれば、「根っこは和風を意識しているのであるか…」と。ですけどねえ…。

 

と、建物のことはこのくらいにしておきまして、訪ねた折に開催されていたのは「芹沢銈介と沖縄」と題した展示でありましたよ(会期は2022年12月11日で終了)。

 

 

沖縄には「紅型」や「やちむん」といった手仕事がありますから、民藝運動との関わりも深くあるわけですね。また芹沢個人としても「沖縄の紅型を見て衝撃を受け、以降本格的に染色家を目指して歩きはじめ」たというくらい。昭和3年(1928年)のこの衝撃の出会いから11年を経て、芹沢は柳らとともに沖縄に滞在する機会を得、その後も何度も沖縄を訪ねているようです。芹沢曰く「沖縄は全く私の竜宮です」というほどに、沖縄に、取り分け紅型には見せられていたようですな。

 

展示の方は本人作品を交えつつ、芹沢が蒐集したという沖縄の工芸品が多数陳列されておりましたですよ。フライヤーからも想像がつくところですけれど、大きく大胆な柄、そして明るい色遣いは南国の風土をそのままに反映しているのでもあるような。時代と場所を越えて、ポップな印象さえ抱いてしまうところでもありますね。

 

 

こちらは『沖縄風物』より「首里名所」という芹沢の染色作品でして、美術館受付の方に促されてやってみたクイズラリーの全問正解賞(まあ、誰でも正解するわけですが…)の賞品として頂戴した絵葉書の図柄です。元来(それも紅型の影響なのか)芹沢作品には色鮮やかでポップなもの(取り分け型染カレンダーなど)が多くありますけれど、むしろこちらの一枚はずいぶんと落ち着いた色合いですなあ。ポップな作品作りの影響は影響として、この落ち着いた感じは芹沢の沖縄リスペクトなのかもしれんなあと思ったりもしたものでありますよ。

 

というふうに美術館をひと巡りして、静岡駅へ向かうバスの車中で気が付いたのですけれど、美術館からほど近く、登呂博物館の裏手あたりに「芹沢銈介の家」というのが公開されてあったと。訪ねた当日が土曜日で、こちらの施設は日祝(8月のみ土曜も)だけ見学可ということですので、戻ったところで見られない…となりますと、もそっと芹沢の作品そのものにフォーカスした展示の折にでもまた、日祝を期して訪ねることになりましょうなあ。

 

てなところで、またしても長らくかかってしまった「静岡焼津紀行」は全巻の読み終わりということで。お付き合いくださった皆さま方には御礼を申し上げる次第でございます。