およそ新刊本の発売を待って、即座に買って読むというような傾向に無いものですので、新聞の書評などで目にして「面白そうかもね」と思ったときにはすでに、市立図書館で何十人も予約待ちになっていたりするわけですな。そこで予約待ちリストかなんかにエントリーしておきますと、月日は巡って忘れた頃、ふいに「予約の本が準備できました」とかいうメールが舞い込んできたりするわけです。
そんな折、せっかく巡ってきた順番に「うむむ…」と思ったりすることもありますな。不意打ちをくらうと「今、読み始めた本があるのに…」てなことを思ってしまったりするという。何せ、予約待ちが巡ってきた本はえてして、自分の後ろにも待っている人がたくさんいたりしますので、通常の貸出よりも期間は短め、延長も不可とせかされまくることになりますし。まあ、贅沢なことは言ってはおられないのですけれど…(笑)。
ともあれ、そんなふうにふいと予約待ちが巡ってきた一冊が原田マハの『リボルバー』でありました。刊行は2021年の5月ですので、たっぷりⅠ年半も待っていたということになりましょうか。もっとも、待ってる間に同じ作者の別作である『風神雷神』を読んでも、『リボルバー』を待ち続けていたことはすっかり忘れておりましたけれどね。
そんなくらいですので、図書館から『リボルバー』が届いたという知らせがありましたとき、「はて、何の話であったか…」と。リボルバーとは拳銃のことであるとは分かっていても、思い浮かぶのはどうしてもビートルズのアルバムの方だったりしますし。いさ、図書館で現物を手にとってみれば表紙に飾るひまわりの花、ああ、ゴッホの話であったかと(笑)。
誰が引き金を引いたのか?
「ファン・ゴッホは、ほんとうにピストル自殺をしたのか? 」
「――殺されたんじゃないのか? ……あのリボルバーで、撃ち抜かれて。」
本に掛けられた帯にはこんな文句が踊っておりまして、ゴッホの死が本当に自殺であったのかどうかに関しては疑義ありとの見方があるところから、作者は発想したのでありましょうね。それにしても、『風神雷神』ほど壮大(?!)ではないにせよ、よくまあ考えたものであるなあと。作家の想像力の逞しさには感心するというか(ともするとあきれるくらいに)。
ゴッホとゴーギャンの関わりは決して長いものではありませんし、その交錯具合は必ずしも深くないように思えて、その点ではゴッホの片思い、独りよがりが目についてしまうところながら、表向きに現れないゴッホとゴーギャンの確執をとことん極めて敷衍すると、こんな物語になったりするのかもしれませんですね。
一応、謎が最後まで持ち越されるミステリ仕立てですので、あまり話の内容に深入りできませんけれど、へそ曲がりなたちとしては「なんだって、みんなゴッホ、ゴッホと言うかな…」てな思いがふつふつと。本書の中でもゴッホ作品に対する思い入れ(作者個人のというより世評を反映したものかもですが)がたっぷりに語られたりすると、反対にゴーギャンの方に肩入れしたくなってもくるところです。もちろん、本書でことさらゴーギャン作品を下に見ているわけではありませんけれどね。
話としてはよく作ったなと思うものの、ゴーギャンの人物像がいささか犠牲になっているように思えることもあり、『風神雷神』で「そう来たか?!」と口あんぐりになった奇想天外さとは違って、「言われてみれば…」と思えてしまう妙なリアルさを纏っているだけに、そして実にたくさんの人に読まれてもいるだけに「ゴーギャンって、こういう人だったのかも…」という刷り込みがなされるとすれば、それはおそらく作者の本意でもないでしょうなあ。
何やら褒めて落とすようなことになってますが、「大河ドラマ」で見たとおりが歴史であるてなふうに思ってはいけんのだよなあと、そんなことを考えてしまった読後なのでありましたよ。
まったくもってちなみにですが、今回のタイトルに持って来た「まっかに錆びたリボルバーが出て来たよ」とは、お気付きになる方もわずかにおられましょうけれど、石原裕次郎が歌った『錆びたナイフ』(同名映画の主題歌)のもじりでして。まことにお粗末さまでございました(笑)。