予め意図していたわけでもありませんのに、このところ読んだ本にはなんとなく相互に関わりのある話が展開しておるようで。関連ワードとしては、「キリシタン」、「ポルトガル」、「プレスター・ジョン」…といったあたりかと。このほど読み終えました原田マハの『風神雷神』、琳派の祖と言われる絵師・俵屋宗達を扱って、よもやこの関連ワードが3つとも出てくることになるとは思いもよりませなんだ。実に奇想天外なお話でありましたよ。
このお話、いったいどこまで触れるのがネタばれにならないであろうかと思いあぐね、ここはひとつ、版元の紹介文の引用としておけば当たり障りはなかろうかと。こんなふうに記してありますな。
美術(アート)という名のタイムカプセルが、いま、開かれる――。日本が誇る名画『風神雷神図屏風』を軸に、海を越え、時代を超えて紡がれる奇跡の物語!
20××年秋、京都国立博物館研究員の望月彩のもとに、マカオ博物館の学芸員、レイモンド・ウォンと名乗る男が現れた。彼に導かれ、マカオを訪れた彩が目にしたものは、「風神雷神」が描かれた西洋絵画と、天正遣欧少年使節の一員・原マルティノの署名が残る古文書、そしてその中に記された「俵…屋…宗…達」の四文字だった――。
織田信長への謁見、狩野永徳との出会い、宣教師ヴァリニャーノとの旅路……天才少年絵師・俵屋宗達が、イタリア・ルネサンスを体験する!?アートに満ちた壮大な冒険物語!
これでもたっぷりネタばれと思うところですし、すでにして下巻の帯には「宗達×カラヴァッジョ」とはっきり。図書館で借りた本には帯は付いておりませんでしたので、下巻でまだまだ若き日の宗達と出会うイタリアの絵師見習いが本文中ではかなり長く「少年」というだけでいて、「たぶん、おそらく、きっと…」と想像させ、気を持たせるだけ持たせておいた少年の正体が、こうもしっかり帯に書いてあったとは…。
ま、ミステリー作品ではありませんので、さほどネタばれ云々に気を遣うことはないのかも。宗達が出会うイタリアの少年が若き日のカラヴァッジョであったとしても、「どうして出会うの?出会ってどうなるの?」というあたりを楽しめばよいということになりましょうかね。
されど、さらっと宗達少年とカラヴァッジョ少年が出会って…と流してますが、作者はどこでどう気が付いたかは知れませんけれど、両者がだいたい同じ時代を生きたこと、そして両者をつなぐ手段としてやはり同時代人である天正遣欧使節の原マルティノを介することを思いついたのでしょう。
歴史物語を書くときには、小説ならではのこととして、史書などに記述の無い空白部分(要するに分からない部分)を想像で埋めるのはままあることとして、ここまで全編にわたる想像を展開するのも珍しいような。その点では、先に読んだ『アーサー・マンデヴィルの不合理な冒険』というなかなか壮大な作り話を思い出させるところですが、そちらは全面的に冒険ファンタジーで、いわばなんでもありにできるものであったわけです。
対して、こちらは多く実在の人物を配しているだけにあまり無茶はできない(といって、相当に無茶な話ではあるのですが)わけですね。例えば遣欧使節として原マルティノがミラノに滞在した一時、その頃にはほぼほぼカラヴァッジョがミラノで修業しており、同じタイミングで何をしていたか史実の分からない宗達をそこにいさせてしまう…というのは、押さえるべきところは押さえているとは言えましょうか。明らかなウソは無いという点で。
それにしても、これだけは無しを飛躍させられるのは、大したものだと妙に感心したりもするところでありますよ。どこまでが飛躍の範疇で、どうなると無茶になるのか、想像なのだからとなんでもいいことにしてしまうと、興ざめにもなりかねませんしね。およそこうであったとは思えない話ながら、全く無かったと言い切れるものでもない。それは史実として否定する材料がないから(肯定する材料もないのですが)と。もっとも、天正遣欧使節に関する研究をしておられる方々ならばはっきりと「ありえない」というかもしれませんですが、それはとりあえず。
日本の歴史は世界の歴史から切り離したところで語れないものと思うところですけれど、この話のように洋の東西に分かれて同時代を過ごした画家がそれぞれに、それぞれの場所で絵画に画期を築いたというあたり、見過ごせないところでありますよね。てな具合に、大風呂敷とは思いつつも面白い話であったと思うわけですが、この話のタイトルにも使われている『風神雷神図屏風』がどう関わってくるのかについては、辛うじてネタばれにならずに済みました。ご興味のある方は読んでのお楽しみということで(笑)。