お天気はあいにくですが気温的にはなんとかひと息付けるようなところで、東京都内では数少ない「町」である瑞穂町の郷土資料館「けやき館」へと行ってきたのですね。さりながら帰ってきて写真データと取り込もうとしたところ、SDカード・リーダーの不具合でもありましょうか、撮ってきたデータが一瞬にして消失という事態に。ですので画像はフライヤー以外にありませんけれど、特別展「特撮造形師 村瀬継藏~瑞穂でうまれた怪獣たち~2022」を見てきたというお話です。
往年の東宝を中心に数多く製作された怪獣映画と聞けば、もっぱら円谷英二が特撮を手掛けたということばかりを思い出すところながら、この村瀬継藏という人が関わったのは、ここでは「特撮造形」と言ってますけれど、怪獣の着ぐるみなどの製作。そういうことを専門に行う人もいたのですなあ。
最初はアルバイトとして東宝に入ったという村瀬が映画製作にかかわったのは『美女と液体人間』(1958年)であったとか。当時の東宝では、この他にも『透明人間』とか『電送人間』とか、実に怪しげな(妖しげな?)SF映画を作っていましたけれど、そんな中の一本ですな。もっとも、これと同年には『大怪獣バラン』も作られて、村瀬はこのバランのキャラクター造形に関わりますが、どちらかといえば怪獣映画の方が幅広く「受ける」と考えたのでもありましょうかね。その後に東宝では怪獣映画を量産することになっていきます。
そんな流れは村瀬の関わりがあって奏功したことでもあるのかも。1961年の『モスラ』で村瀬がキャラクター造形を手掛けたモスラは、その後に東宝のエース・ゴジラとともに何度も映像に顔を出すようになるほどの成功作だったのでありましょう。また、モスラで忘れてならないのが小さな小さない美人双子姉妹の登場かと。「♪モスラ~や、モスラ~」とザ・ピーナッツが歌って演じたあの妖精(?)。これも村瀬によるものということでありますよ。
その後も『妖星ゴラス』(1962年)で南極に現れた巨大セイウチ(マグマという名前が付いているらしい)、『宇宙大怪獣ドゴラ』(1964年)のドゴラ、『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)のキングギドラなどを生み出していったそうな。村瀬の手腕は東宝ばかりでなしに、大映映画のガメラや大魔神でも発揮されたようでありますよ。いやはや、見た映画は山とあるのに、その存在を知りませなんだ…。
東宝以外の作品にも携わっていくように、独立した立場で仕事をする一方、着ぐるみの製作会社を瑞穂町に立ち上げて数々の映像作品に関わると同時に、サンリオピューロランドなどの着ぐるみショーを手掛けるようにもなっているということでありますよ。展示の中には「ゴジラの皮膚」(の一部)がありましたけれど、映画で見てのとおり、ごつごつとした肌合いの裏側はスポンジ張りになっていて、こうしたことで柔軟な身のこなしを実現しているのだなと思ったものです。サンリオのキティちゃんなんかも同じような構造なのでしょう。
ところで、長きにわたって怪獣のキャラクターとその着ぐるみなどを作り続けてきた村瀬は、現在88歳にして現役。自らが監督を務め、今年2022年末の完成を目指して『神の筆』なる作品が製作されているそうな。日本神話を意識した作品でもあるのか、ヤマタノオロチが登場するようですけれど、これまで多数の怪獣を生み出した村瀬の作品だけに、展示で見られたキャラクター像は怪獣そのもの、という以上に「キングギドラじゃね?」というもの。さてはて、どんな映画に仕上がっていくのでしょうか。気になるところではありますね。