まずもってこのDVDのカバー写真だけを見たら、
「これはもしかして日活ロマンポ○ノ…?」かとでも思ってしまいそうな。
かつては新宿でもよく見かけた(子供としては直視してはいけないものと思ってましたが)
それらしい映画館前に貼られたポスターとよく似た雰囲気が出ていませんかね。
と、比較できるところは「なあんだ、直視していたのではないか」と思われるやもですが(笑)。
作品はかつて東宝が当時の特撮技術を駆使して製作した一作なのですな。
以前も日本映画専門チャンネルで「透明人間」とか「電送人間」とかいう作品 を見たですが、
このほど放送されていたのが、この「美女と液体人間」でして。
それにしてもなんだってこの作品だけ「美女と…」が付いているのか。
安っぽいタイトル(今から思えばですが)のわりには
「日本のグレース・ケリー」てな振れ込みで売り出し中の白川由美を
液体人間に狙われるキャバレーの歌手に起用したあたりが
東宝としても力のこもった新機軸ということだったのでしょうかね。
それはともかく「液体人間」なるものですが、1958年に公開されたこの映画には
やはり当時の世相として原水爆実験が絡んできますですね。
だいたい本家本元の「ゴジラ」 からしてそうなわけで、もちろんいい意味ではありませんが、
この話題はひどく身近な問題であったことでしょう。
太平洋上で消息を絶った第二竜神丸…とは
当然にして第五福竜丸だと誰もが気付くところですが、
とまれ幽霊船状態で海上を漂っていた第二竜神丸では乗組員が全員衣服を残して
消失してしまっていた…。実は液体人間になってしまっていたというわけなのですなあ。
ひと頃は「雨には放射能が含まれているので、濡れると禿げる」てなふうなことが
まことしやかに囁かれておりましたな。子供の頃のことですが。
それだけ核実験の影響が大気中に出ていると末端庶民にまで考えられていたのでしょう。
そうしたことと関係があるのか、太平洋上で被爆したと思われる第二竜神丸の乗組員は
溶けてしまったのだと。が、溶けてなお生きており、液体人間になってしまったのだと。
やがて東京に出没するようになった液体人間には、
生身の人間に触れるとこれを溶かしてしまう(液体人間にしてしまう?)という特徴があり、
東京は恐怖の巷と化すのですなあ。
最終的に液体人間は退治されてしまうのですけれど、作品の最後には、
もしも核実験がこのまま続けられて空気中を放射能が漂うてなことになると人類は滅び、
代わって地球は液体人間の世界となってしまうかもしれない…てな警句が囁かれるという。
考えてみれば、液体人間という風変わりな設定は液体というものが「忍び寄る」さまを
実に分りやすく示しているわけで、被爆の結果としての液体人間そのものが
核の脅威なのでありましょうね。触れれば溶けてしまうという点もまた暗示でありましょう。
ですから、先ほどの警句が人類が滅びて液体人間の世界になるかもといっているのは
人が滅びた後にはただただ核の浮遊物に取り巻かれた地球だけが残った…てなことを
言いたかったのかもしれません。
正面切って核の脅威を警告するものではなく、多分に娯楽作的仕立ての作品ながら
時代背景というのはかような形で表れるものなのだなと思ったものでありますよ。