「空の大怪獣ラドン 」のことは書きましたですが、
その後に「宇宙大怪獣ドゴラ」を見た話には触れてふれておりませなんだ。
といって、全面的にドゴラの話をしようというわけではないのですけれど。
ともあれ、宇宙から突然姿を現したドゴラなる怪獣は炭素系のものが大好きなようで、
ダイヤモンドやら石炭やらを地上からどんどん吸い上げてしまうのですな。
その情け容赦のない貪欲な吸い尽くしぶりを思い出したのが、
映画「サバイバルファミリー」を見ておってのことなのでして。
ドゴラと何の関係が?といって、ある日突然に電気が消滅してしまうのですから。
それも、いわゆる停電という送電ストップの状態に留まらず、
どうやら乾電池や車のバッテリーでさえも突如として機能しなくなってしまうとなれば、
こりゃあドゴラの親戚のような電気大好き宇宙怪獣が全部吸い上げてしまったかとでも
思うしかないところではないかと思ったわけです。
先に言ってしまいますと、2年と120数日後にやおら電気が復旧しますけれど、
そもそもなぜに電気が消滅するという事象が生じたいのか、特段の説明はありません。
この映画の場合はむしろそれでいいのですけれどね。
なんとなく科学的に納得できそうな説明をしようとするとあちこちにぼろが出て、
それこそ前提のよしあしで終わってしまいますから。
この際、そうした合理的な説明は置き去りにした上で、
とにもかくにも一切の電気が使えない状況が、
それもいつ回復するかも分からない中で出来したらいったいどうなってしまうであろうかと
想像するところにこそ意味があるというべきでしょうから。
東日本大震災のときには東京でも計画停電が実施され、
電気の止まる時間が予告されていてもあれこれと不便を来しましたですな。
そうしたことをあって、「電気が来ないと不便でしょ。だから原発は必要なんです」的な
メッセージ含みの計画停電かとも思われるところでしたですが、電気が少ないと
あれこれ不便を想定してやっぱり電力はたっぷりないと…と考えたくなったりするかもですが、
それでもそうしたときに電気が全く無いというのは想定外だったですよね。
自分も含めて、おそらく。
ですが、全く電気が無くなったらという事態を想像するのは
想定外としておいてはいけないのではないか。
そうした事態が起こると想定しておけというよりは電気にばかり頼っていることを再認識して
そうした生活様式にいくらかでも違う発想を持ち込んだりするためにです。
映画の中での一家がどのようにしのいで過ごしたかは敢えて触れませんけれど、
笑って見ながらも、自分だったらと考える、そこんところが存在意義の映画かもしれませんですね。