「ああ、天気が良かったならば、あんなふうに港内クルーズの船に載ってたかもしれんなあ…」てなことを。函館が舞台の映画『オーバー・フェンス』を見ていましたら、「Bluemoon」というなかなかかっちょええ双胴船で港内一周するというシーンが出てきたものですから。この船は船内結婚式にも利用可というコンセプトというゴージャス?感の中で30分ほどで港内を巡るようですな。

 

一方、金森倉庫の間に入り込んだ運河から出航する方は大型プレジャーボートのようなところでしょうか。こちらはこちらで一周15分という高速性が個性でもあろうかと。どちらにするかはお好みですなあ。

 

 

と、それはともかく映画のお話。タイトルに「フェンス」とあって、フライヤーの下側に写る男たちはみな、同じ作業着のようなものを着ていますので、てっきり服役中?かと思いましたら、みなさん、職業技術訓練校の建築科で、要するに大工仕事を見に付けようとしている人たちだったのですなあ。

 

 

主人公の白岩(オダギリジョー)は東京での生活から逃れて故郷・函館に帰ってきたものの、することがないので取り敢えず職業訓練校に。元来、就職支援が目的の施設ですから、「取り敢えず…」とはいかないはずですが、そこはそれ、同じ建築科に集う面々はひとくせもふたくせもあり、またそれぞれに何らかの事情を抱えていそうでもある。そのほどほどの温度感が、ふいと帰ってきてしまった白岩にも居場所らしく感じられたところでありましょうかね。

 

東京で仕事をしている頃の白岩は「ふつう」に会社員として仕事をしていたところながら、その「ふつう」はもっぱら白岩にとってのものであって、家庭を顧みずに仕事をしていたとも言えそうです。産後鬱でもあったか、精神に変調を来した妻を娘ともども実家に送り出し、自らは函館へ…と。

 

しばらく前に見た『函館珈琲』もそうですが、どうやら函館というところ、都会のというのか、人間関係のというのか、そういうところからの逃避に適う場所ということでもあるんでしょうか。「人口は終戦前まで常に全国第十位前後であった」とは、函館元町公園「四天王像」の解説板にあった紹介ですけれど、もはや遠き日の記憶とは異なっておだやかな?地方都市となった函館は確かに都会とは違う空気が流れていそうな気がしたものです。

 

さりながら、先に函館の町をぶらりと歩いたりし、またこの映画を見る中でも、当然のことながら、そこに当たり前に暮らす人々にとっての函館というのがあるわけですね。観光客目線で眺めるものとは違う中に生活があるということで。その点では、都会もどこも変わらないはずなのですが、やはり「空気感」の違いが確かにあるのも事実でしょうし、そうした意味でもこの作品が函館を舞台にしている適切性を感じたりもしましたですよ。

 

もっともこの作品、原作小説自体が函館出身の作家・佐藤泰志によるものだけに、「函館」に寄せる思いは送り手と受け手の間で異なるものがあるかもしれませんですね。ただ、原作小説はいざしらず、映画化した側も単に原作の舞台が函館だからというだけで撮ったのでもないのでしょうなあ。

 

例えば、筒井康隆の『時をかける少女』という小説があって、必ずしも舞台は特定されない中、大林宣彦監督が映像化するにあたってはこれを尾道にもってきましたですね。小説のお話を尾道という器に盛って、素材の味を生かしつつ別の料理として出すわけで、こうしたことが映画化にはあるわけですし。

 

と、また話が横道に逸れましたですが、とにかく白岩は訓練校の面々との関わり、そしてたまたま知り合うことになった若いホステスのサトシ(蒼井優)との

関わりを通じて、それまでの殻から抜け出して新しい日常を作っていくことに。その「殻」こそが「フェンス」であって、それを越えるというのが、このお話なのでしょう。最後の最後、訓練校の仲間たちとソフトボールに興じる白岩が放つホームラン。おそらくはフェンス越えの一発だったのでしょうけれど、そこまでは見せないところが嗜みですかね。

 

ところで、サトシ役の蒼井優のはっちゃけ具合は尋常ではありませんですね。いわゆる平平凡凡たる普通人にはそう見えるわけですが、こういう猫科か?という人っているのでしょうなあ。そう考えると、この映画をひたすらにサトシ側から見ると…という見方もありとは思いましたが、それは見終わってのこと。また見ることがあれば、そういう見方をしてみましょうかね。