いささか思惑違いを感じながらも聴いてきた先日の電磁波関係の話の中で、要するに(電磁波のことはもとより他のあれこれも)流言飛語を真に受けてはいけませんよと伝えたかったのでしょう、引き合いに出されたデータとして2015年に内閣府食品安全委員会が出した調査結果に基づく資料があったのですな。さまざまなもの「がんの原因」となるかどうかについて、一般消費者と(いわゆる)専門家との受け止め方の違いを示したものです。

 

それによりますと、一般消費者が考えるほどに専門家はがんの原因になるとは考えていないものとして、ひとつには食品添加物、ひとつには残留農薬、そしてもうひとつは遺伝子組換え食品でありましたよ。それぞれ、一般消費者が気にするほどにはがんの原因になるとは科学的に証明されていない(がんの原因にならないと証明されているわけではないのは先日の話のとおりで、科学的には不可能なのでしょう)ということなのですなあ。

 

つまりは(こと、がんに関しては、でしょうけれど)食品添加物も残留農薬も遺伝子組換え食品も気にしなくよい、「安全ですよ、安心なさい」と言いたいのでしょうけれど、これってミスリードにつながりませんでしょうかね。がんになる可能性は無い(低い)として、だからといって安全、安心とは言えないでしょうし。これまでに、直近では『ありあまるごちそう』とか、食品の危機に警鐘を鳴らすドキュメンタリーをいくつか見てきましたですが、あながちそれらが流言飛語とも思われず…。

 

そんなところから、改めてまた類似分野のドキュメンタリー映画を二本、ついつい見てしまいまして。方やドイツ・オーストリア合作の『いのちの食べかた』(2005年)、方やアメリカで作られた『フード・インク』(2008年)でありました。

 

 

奇しくもどちらのフライヤーも「牛」ですな。左側の方は原題が「Unser täglich Brot」、直訳すれば「わたしたちの日々のパン」となりますけれど、要するに「日々の糧」と理解すればよいのでしょう。それにしても、牛メインとなるのはいかにも「欧米か!」ではあろうかと。

 

とまれ、扱われているのは大量に大量に生産される穀物、野菜、魚介、そして食肉でありますね。大量生産が安価な食品流通につながるということありましょうけれど、その栽培・成育過程、加工過程をつぶさに目の当たりにするにつけ、科学的にはこんなにも効率よく大量に生産し、加工することができるのですよとはいえ、最終的にそれがヒトの口から入ることにどれだけ意識をしていようかと考えざるを得ないことになりますね。

 

それ以前に食肉加工の場面では、牛も豚も鶏も全て、(食品とはいえ)モノの加工が淡々と進められているといった状況には、昔々から肉食はあったにせよ、命を思ってありがたくいただくといったところはもはや全くないのですなあ。デリケートな人であったら、おそらくはしばらく肉を食する気になれなくなることでありましょう。

 

人間は雑食といわれ、その分、いろんなものを食して栄養とすることができることから、食、おいしさの追求もヒトなばこそと言えるわけですが、これは長い年月の進化(というより適応ですね)の過程で、さまざまな環境の場所で暮らしていけることとセットで出来上がっていたものであって、食品調達の点では効率がいいとも言えますし、逆の見方もできましょう。

 

先日、C.W.ニコルと森林保全に関する展示を見ました折、植物は動かずとも光合成で養分を得られるてなことに触れましたですが、一方で牛などもひたすらに草を食することで大きな体を支えることができるのですよね。大きな体と言えば、象やキリンも同様でしょう。これはこれで(同じものばかりで飽きないかなとは人間が思うだけであって)ある種のものがある限り、あれこれバランスだのなんだのを考えずに食していけばいいのですから、むしろ効率的ともいるような気がしたものでありますよ。

 

さりながら、人間のとっての「効率」は食べるものをむしろひと任せにするところから生じることになっていますけれど、任せた結果として安く買えることをもって良しとばかりもしてはいられない現状は、確かにあろうかと思うところです。

 

確かに疑心を煽る流言飛語のようなものはあるものの、全てを鵜呑みするでなく、かといって全てを切って捨てるでなく、考えてみることはヒトが生きていく上で必須になっているのではないですかね。もちろん、食べものだけの話ではありせんけれど。