国連食糧農業機関(FAO)は「地球は問題なく120億人を養える」(1984年)と報告しているなど、世界に食料はあまるほどあるのです。
これは先に読んだ『食べものから学ぶ世界史』に紹介されていたことですけれど、
このことに触れて、やはりドキュメンタリー映画である「ありあまるごちそう」のことも。
あまり同じ話題が続くのもなんですから、少々時間を置いて見てみたのでありました。
映画の冒頭はオーストリアの首都ウィーンで、毎日大量に廃棄されるパンの映像から。
なんでもオーストリア第二の都市グラーツでのパン需要を賄うのと同じくらいの量が捨てられているそうな。
そして、これはパンだけの話ではないのですよね。
大量廃棄が生ずるのは、大量生産しているからでもありましょう。
その間に大量消費があるにせよ、それでもなおかつ膨大な量の食品が廃棄されるのは
やっぱり作りすぎなのではないですかね…。
ですが、不思議?なのはかほどに捨てることを見込んだとしても、
大量生産した方が安くなるという仕組みのからくりでしょうか。
まあ、少量をこつこつと作り出すには思わぬ手間暇(コスト)が乗っかることになり、
むしろ機械で大量に作り出す方が(廃棄コストを考えてもなお)安上がりなのかもしれません。
そして、その安さの追求を企業側に言わせると「消費者が安さを求めているから」となるようで。
消費者、買い手にとって(庶民感覚で考えれば)モノは安いにこしたことはない。
「安い」ということが殺し文句ともなって飛びついてしまう、そんなところも確かにありましょう。
されど、安さと引き換えに何かを失っている可能性は考える必要があるのかもしれません。
映画の中ではルーマニアの農地が映し出されて、ここには昔ながらの農業があるてな紹介がありましたが、
採れたナスを示して、こちらが在来種のタネから収穫したもの、これがハイブリッド種のタネからできたもの、
つまりは遺伝子組み換えの作物というわけですが、これを比べて見せておりましたな。
在来種の方はひん曲がった出来でなんとも貧相、対するハイブリッド種の方は大きく立派でつやつやしている、
しかも農薬耐性があって手間が掛からないというのですが、実は風味は在来種が優っているとか。
要するに安さと引き換えにして、野菜本来の風味を失い、遺伝子組み換えによるリスクを引き受ける結果に
なっているということにもなろうかと。
日本でも言われることですが、形が揃っている方が、また見た目の立派さ、つやつやさがあった方が
商品価値が生じて、流通経路に乗りやすい。結局のところ、在来種出ない方が換金しやすい現状なのですね。
そうなれば、自ずとそれを大量生産することが利益を生むものと思ってしまって、
見事にモノカルチャー化に誘導されてしまう。
本来、多様な作物を育てることで地元の人たちの食にもなり、市場にも出回るはずが
ひたすらに市場に、はっきり言えば巨大食品産業に買い取られるばかりで、地元では食べるものがないことに。
映画では世界一とも言われる食品関連企業ネスレの経営トップにインタビューしてましたですが、
自分には同社の社員、その家族、関係者まで含めれば何百万人にもなろうかというその人たちに対して
責任があると、経営者的に立派と見える発言をしておりました。
しかしだからといって、どこで誰が過重労働にあおうが、飢えようが関係無しと言わんばかりであるのには
驚きを通り越して口あんぐりとなりそうな。営利企業とはそういうものなのかもしれませんですが、
近年、その営利企業で「Win-Win」てな言われようがさもいいことのように言われてしまう、その体質には
どうも付いていきにくことを思い出してしまいます。
なんとなれば、二者の双方にとっていいことというのが全てのロスを第三者に押し付けるという構図が
思い浮かんでしまうからでして。そうでなかったら、120億人を養えるはずの食料があるにも関わらず、
多くの人が飢餓に晒されるということはなかろうに…と思えるものですから。