先ごろのヴィヴァルディ以来、元よりバロック音楽に興味大であるところからしまして、このところCDの棚に並べてあるだけになってしまっていたバロックのあれこれのCDを取り出してほこりを払っていたり(笑)。そんな中で先日はドレスデンのザクセン公の宮廷に思い馳せたりしたわけですが、その際、宮廷音楽家として活躍した作曲家として名前を挙げたゼレンカのCDが確かひとつだけあったなと、久しぶりに聴いてみたのでありますよ。

 

 

チェコ生まれでもっぱらドレスデンの宮廷で活躍したというヤン・ディスマス・ゼレンカの作品は長らく埋もれた状態でもあったようですけれど、このCDの演奏者であるオーボエ奏者のハインツ・ホリガーが取り上げたことで再評価が進んだということで。ただ、このCDを出した「ECM」というレーベルはジャズを皮切りにクラシック領域では現代音楽を扱うところという気がしておりましたので、「もしかしてゼレンカとは、現代音楽の作曲家なのであるか?」とも。なにせCDカバーからして、バロック音楽というよりも現代音楽のCDですと言われた方が馴染む印象ではないですかね。

 

と、それはともかくとして改めて聴いてみますと、これが実にいい。先日は「イタリアの陽光に憧れて?…ということ」と題したように、どちらかというとイタリア押しになってもいたようではありますが、陽光燦燦の明るさとは別に、ドイツのバロックには格調高さといいますか、ひとしおの深みが感じられたりもしたものなのですね。

 

そこでゼレンカとは別にもう一人、やはり「ドレスデン宮廷管弦楽団のホルン協奏曲集」に作品が取り上げられていたテレマンの音楽を聴いてみることに。代表作の一つである『ターフェルムジーク』の全曲を4枚にCDに収めたものでありますよ。

 

 

ドイツのバロック期の作曲家といえば、今ではすぐにバッハとヘンデルが浮かぶところながら、往時のテレマンはドイツ音楽界のスーパースターだったのですよねえ。本来、ライプツィヒ市としてはトーマス教会のカントル(音楽監督のような)にはテレマンを招こうとしていて断られたため、やむなく?バッハが就任したということでもあるようで。ザクセンにも呼ばれることしばしでしたでしょうけれど、基本的にはハンブルクで活躍した人ですな。ハンブルクのブラームス博物館のすぐ近所にテレマン博物館がありましたっけ(といって、開館日が限られていたので入れませんでしたが…)。

 

ところで、「ターフェルムジーク」とは直訳では「食卓の音楽」となりますけれど、まあ、祝宴の音楽と考えたらいいのかもしれませんですね。だからといって、とにかくにぎやかで華やかでというものでもないのは、先ほどゼレンカを聴いた印象として感じた格調高さ、ひとしおの深みをやはり思わずにはいられないわけでして。

 

このあたり、先週(5/14)放送のTV朝日『題名のない音楽会』の中で、言語の違いによる音楽の拍節感てなことが思い出されもしますですね。例えばですが、とぎれない水の流れのように続くフランス語であってこそ生まれる持続的なメロディーがある一方で、少ない母音できちんと刻んでいく感のあるドイツ語ならではの調子もあるわけです。そこで、たゆたう流れよりも刻んで拍節感を出す方に格調高さを感じるかどうかは個人差があるかもしれませんけれど…。

 

ともあれ、テレマンの『ターフェルムジーク』が単に食事の際のBGM(なぜかホテルで食事をすると、バロック音楽が流れていることが多いですな)にとどまらず祝宴の音楽であったとすると、これはすでにテレマン以前からの先行事例が数多あるようでして、テレマンより100年ほど前の作曲家であるシャインの『音楽の饗宴』もまたということのようで。そこで、これのCDを取り出したわけですな。

 

 

さすがにテレマンより100年も前(17世紀初め頃)の音楽となりますと、素朴な印象になりますなあ。短いフレーズが繰り返されるパターンの中で、楽器が代わり、変奏とまでは言わない僅かな装飾が凝らされたりする。ゆったりとした気分になって、やすらぎを感じられるところからすれば、こちらの方がより食事の際の音楽には適しているのかもです。

 

さりながら、西洋音楽の源泉は「グレゴリオ聖歌」にありとはよく言われることですが、その単調な(されど深みはある)旋律から後のテレマンなどバロック盛期からさらには古典派、ロマン派と続くドイツ音楽の系譜にあっては、端境期にある存在なのかもしれません。それだけに、先ほど触れたドイツ語らしい拍節感には至る以前かとも。

 

思えば、ラテン系の南の国からキリスト教が北のドイツなどに伝わるにあたって、土俗的なゲルマン信仰などもキリスト教の一部として取り込まれていったように、音楽の伝播においても地域の語感といったものがだんだんと入り込んでいったのかもしれませんですね。