山梨県北杜市は県の北西部にある8つの町村合併によって誕生しましたので、なかなかに広域ですな。という以上に山梨県では最大の面積であるそうな。そんな広い北杜市の高根町というところに出かけたのでありました。

 

高根町といってもおそらく思い浮かぶところはなかろうと思いますけれど、町名以上に有名なのが「清里」でありましょうか。ここも一大脚光を浴びたのはすでに過去のことになって、駅前でもファンシーな構えの店舗が朽ちかけた状態でシャッターを閉じたまま…てな光景を目にしたりします。と、さりながら今回の行先は清里ではなくして、こちらの建物なのでありました。

 

 

妙に立派なこの建物、基本的には図書館であるようですけれど、ちょっとした資料館が併設されているというなのですな。まずは「ほくと先人室」なる展示スペースへ。

 

 

今現在の北杜市にあたる地域の出身者などを中心に42人の人物と事績を紹介するコーナーでして、地域地域の郷土資料館とか歴史民俗資料館にはよくある紹介コーナーかと。地元的には「こんな人も、あんな人も」とは思うところながら、単なる外来者としては(こう言ってはなんですが)ほとんど知らない人ばかりであるなとも。知っている名前は「出身」ではなくして「ゆかりある」人たちなわけで、そういうことで言えば、国語学者の金田一春彦、画家の平山郁夫、そして清里開拓に大いに関わったポール・ラッシュがあげられましょうか。

 

旧大泉村に別荘を構えていた金田一は名誉村民にも選ばれて、そんな関係からか、生前に収集した多くの資料が寄付され、今では北杜市立金田一春彦記念図書館ができていたりするのですな。平山画伯の場合は、JR小海線の甲斐小泉駅からほど近く、平山郁夫シルクロード美術館がありますものね。ポール・ラッシュはその功績から清泉寮に記念館がありますな。

 

この三人以外に、ということは北杜市(に今はなっている地域の)出身者で名前に聞き覚えがありましたのは、山口素堂と柳沢吉保であろうかと。江戸前期の俳人である素堂は、とにもかくにも「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」の句が夙に知られるところでありましょう。

 

一方、柳沢吉保は歴史上、決して好人物とはされておりませんけれど、ともあれ出自としては甲斐源氏に連なる一族の末裔として「武川衆」という武士団に属していたそうな(現在は北杜市に武川町がある)。武田氏滅亡に際して、徳川に召し抱えられる家臣がたくさんいたわけですが、柳沢の家もそうした中のひとつだったのでしょうね。

 

吉保自身は側用人として幕閣内で暗躍?した後に甲府城主となって、武田信玄の遺徳を偲ぶ法要などを行ったりもしていますので、甲斐国の人々には馴染ある存在と言えるのかもしれません。

 

これ以外では名前は知らなくとも事績として知っているケースとして、銀座松屋の創業者である古屋徳兵衛がおりますが、ここに全てを紹介するのもなんですな…。

 

郷土の先人の事績を紹介することは、観光客相手の側面よりも、地元の方々にとって様々なことを成し遂げたことを語り伝える意味合いの方が強いかもしれませんですね。それも「この人えらい、あの人立派」と人物ばかりを知ること以上に為した事績を伝えるという点で。

 

広く世の中的には知られていないとしても、「ほお、この土地からこんなことをした人が出たのか」と事績そのものの関心を持って、(必ずしも分野は同じないにしても)それに続こうという気概が生まれるかもしれませんし。

 

なんとはなし、地味な存在ながらも以前訪ねた笛吹市の小川正子記念館のことを思い出したりもしましたわけですが、あちらは笛吹市春日居郷土館に併設されておりましたな。それと同様にというものなんですが、こちら北杜市の「ほくと先人室」の方でも42人をまとめて紹介したコーナーとは別に、その人だけという展示が設えられた資料館が併設されておりました。「浅川伯教・巧兄弟資料館」ということなのですが、やはりその名に聞き覚えはなく…。とまれ、お次はこの浅川兄弟の事績を辿ってみることにいたします。