「鉄」といえば近代化の象徴のようなもので、幕末には韮山に反射炉が作られたりして明治の近代化への道を開いたりしたわけですけれど、だからといってそれ以前の日本で鉄が使われていなかったわけではないのですよね。だいたい日本刀は正しく鉄ですし。
この前時代的な鉄作りを支えたのが「たたら製鉄」というものですなあ。砂鉄を集めて原材料とするのですから、それだけでも大変な作業であったと思いますが、その後の製造過程を「こんなふうにやっていたのだあね」と見せてくれるが、映画『たたら侍』なのでありましたよ。ま、『もののけ姫』にも出てきますけどね。
ともあれこの映画、モントリオール国際映画祭最優秀芸術賞を始めとして国際的に数々の栄誉を得た作品ということながら、個人的には「そうなの?」という印象。戦国時代を背景に、侍でない者が立身出世する話は豊臣秀吉ほかで語り尽くされてもいますけれど、これは侍でない者が侍になることを望んで挫折するお話でして、それが日本の昔々の風景と溶け合って、他の国の人たちには詩情豊かでもあるように受け止められたのかもしれませんですなあ。
雲州(どうやら出雲はたたら製鉄で知られた場所であると)の山村、「玉鋼」と呼ばれる良質の鉄を生み出す村で、どうらや一子相伝であるらしい「たたら吹き」の跡継である伍介が侍を夢見て村を出たものの、合戦の現実を目の当たりにして村に逃げ帰ることに。そも村を離れるときに伍介を手助けした豪商の与平(この津川雅彦があからさまに胡散臭い)は、予て村で作られる鋼の良質さ(これを鍛えて作った刀はあたかも「斬鉄剣」のっようで)に目を付けており、村人たちに「侍どもに村が狙われておりますぞ」と吹き込んで、むしろ自らの徒党をもって村を乗っ取ってしまうのですな…と、このあたりがどうにも気分的に入り込みにくいところであったりするという…。
折しも合戦で鉄砲が使われ始めたことから、良質の鉄が引く手あまたになることに商人が目を付けたわけですけれど、鉄砲作りといえば元祖の種子島、近江国国友村、そして泉州堺が知られるところながら、鉄砲鍛冶のために鉄がどこからどのようにもたらされるかはあまり考えてみなかったですので、そうした点ではひとつ知見を得た映画ではありましたかね。
とまあ、そんな映画をたまたま見てほどなく、今度はこれまたたまたま手にした本がこちらの一冊でして。タイトル的には『家康、江戸を建てる』の受けがよかったところで、似た表現を狙ったか、同じ作者(門井慶喜)による『信長、鉄砲で君臨する』と。奇しくもまた鉄砲のお話なのでありました。
まずタイトルのことをとやかく言いましたのは、読み終えて「後付け感、あるなあ」と思えたからでもありまして。どちらかといえば、日本への鉄砲伝来からその後、合戦に用いられ、多用されるようになるまでを個別の話が配置されているような、言うなれば連作短編という形でしょうかね。確かにそれぞれに信長がらみの話ではありますが(時代的に信長の勢力伸長過程を考えれば、それも当然ですなあ)、だからとってタイトルから印象として受ける信長物語とも言えないような。
ま、そんなことはともかく、内容的には興味深いところはいろいろありましたですよ。まず、「序」ではまだ吉法師と呼ばれていた頃の幼い信長のエピソードとして、さりげなくも日本の片田舎で細々と硝石作りが行われていたことに触れています。硝石は火薬作りに必須の材料ながら天然資源としてはおよそ国内で採ることができないわけですから。
続く第1話「鉄砲が伝わる」では種子島への鉄砲伝来が語られます。そのときの国主ならぬ島主であった種子島時堯が、海のものとも山のものとも知れぬ「鉄砲」なるものを買い入れ、しかもそれを自前で作り出させようとしたのは、戦国の世ならではの先見の明とも思えるところながら、およそ日本史の中では語られない、種子島という島自体の勢力争いがあったからだったのですなあ。
第2話「鉄砲で殺す」は信長が鉄砲に目を付け、これが合戦に利用できることに気付く(気付いてしまう?)あたり、第3話「鉄砲で儲ける」ではもはや鉄砲が引く手あまたとなって今井宗久らが堺での鉄砲作りに邁進するさまが描かれておりますな。第4話「鉄砲で建てる」はちと目先の異なる安土城築城の話で、いささか余談めく部分ですが、最後の第5話「鉄砲で死ぬ」は本能寺の変を取り上げて、光秀軍の鉄砲隊が本能寺に押し寄せ、信長に撃ち掛かり…となっていくわけです。やっぱり、全体としてはちと作為的な仕立てになっているような気がしましたなあ。
それはともかく、鉄の原料も手に入りにくく、硝石も産出しない中で工夫してきた歴史に思いをはせる機会にはなりましたですが、しかしそれにしてもその使途というのが鉄砲であったかと…。ま、過去の歴史に今の尺度を持ち込んでも理解はしにくところではあるのですけれどね…。