外出を憚る中では、自ずと本を読む時間も増えようかと。

このほど手にとったのは門井慶喜作の『定価のない』という一冊、

これも新聞の書評か何かで見かけたものでしたかね…。

 

 

例によって図書館で借りた本に帯はかかっておりませんけれど、

そこにはこのような紹介文が書かれてありまして。

GHQ占領下の東京・神田神保町。古書店主たちの“戦争”は、まだ終わっていない。
直木賞作家がすべての愛書家に贈る長編ミステリ。

作者の本は以前、『家康、江戸を建てる』という一冊を読んだきりでしたので、

てっきり歴史小説の作家かと思ってしまってましたが、どうやらいろんなものを書いているようですなあ。

 

と、それはともかくとして、タイトルどおりに古書業界を背景においたこのお話、

古書店主対GHQのやりとりは日本の戦後の文化政策、教育政策とも関わる実に大きな話なわけして、

その大きな話が小さな枠の中で展開されることに、いささか戸惑うところなのですね。

といって、ミステリ仕立てなだけに、話に深入りできないのが難点ですが。

 

時代背景的に、徳富蘇峰や太宰治まで引っ張り出してくるのは創作の妙かもしれませんけれど、

特に太宰の端役ぶりは「登場させてみました」的なところを出ないのは残念なところです。

 

てなふうに、くさくさ言ってしまってばかりもなんですので、

歴史的事実として興味をひかれたあたりに触れますと、丸善夜学会なるものがそれにあたりましょうか。

 

かつて日本橋にあった丸善には何度も足を運んだことがありますけれど、

基本的には本屋として認識していたところながら、扱っていたものは実に多様でありましたなあ。

明治の創業以来、こう言ってはなんですが儲かりそうなものを聡く見つけて手を出すという商売だったかと。

 

時は文明開化で、これからおそらく洋書の需要が増えるだろうと考えたところから

洋書を扱えるようになるには英語が必要と、丸善夜学会なるものが立ち上げられたようで。

教えたのは英語ばかりではないようですけれど、新しい知識の吸収欲が旺盛なところは明治ならではですかね。

 

維新を迎えて何もかもが新しくなった。それ以上に、以前の価値観やら社会機構やら構造やらあらゆるものが

否定されるようになったわけで、新しいものごとについていかねば如何ともしがたい状況であったでしょうし、

また尊王攘夷のご時勢ではないものの、外国の脅威が無くなったわけでもなく、これに対抗し、

あわよくば見返してやろうくらいの気持ちがあって、対抗心にも燃えていたのでありましょう。

 

結局のところ、それが日本の近代化を推し進める原動力ともなったとはいえましょうが、

真似をしなくていいところまで真似てしまったころから、戦争への道をひた進ことにも。

こんな言い方では、日本の軍国主義は外国の(帝国主義の見本の)せいと言わんばかりに聞こえるかもながら、

そこはそれ、反面教師とするだけのゆとりが無かったのでしょうなあ、当時の日本には。

だからといって、全く擁護できるものではないとは思っておりますが。

 

ところで本書に話を戻しますと、先に触れたGHQによる戦後の文化政策、教育政策云々という部分、

もっぱら日本が歩んできた歴史、明治以前の長い歴史そのものを全否定してかかるものとして、

過去の一掃を目論んだということになりますが、ここらへん、どうもすっきり受け止めにくく…。

 

ま、創作だと言ってしまえばそれまでですが、どうも日本人は過去を振り返ってきちんと向き合うことが

下手なのですかね。そうでなければ、出て来ない話であるようにも思うところなのでして…と、

またまた腐す話はともかくも、歴史との向き合い方、これは考えどころでありますよねえ。