先月(2022年2月)放送のEテレ『古典芸能への招待』では、能の「関寺小町」が取り上げられておりましたですなあ。才色兼備を謳われた小野小町が齢百を迎えた老婆として登場するという、まさに「我が身世に経る」ではなかろうかと。同じく昨年10月の『古典芸能への招待』では「卒都婆小町」という、やはり小町もののお話が紹介されておりましたけれど、才色兼備が過ぎたるあまりでもありましょうか、後世のやっかみを呼んで、老婆の小町がたくさん語られることにもなったのかも。

 

ともあれ、先に「卒都婆小町」を見たときにも小野小町つながりから百人一首へと入り込みかけたものの、ついそのままに。そこで、このたび奇しくもまた小町ものの「関寺小町」に接した折も折、競技かるたを題材にした映画『ちはやふる』にも触れた折も折、古文苦手もいよいよ百人一首を何かしら解説する本でも読んでみようと考えた次第でありますよ。さりながら手にとったのは…。

 

 

市立図書館で目に留まるも、「どうしようかなあ、借りるの、こっぱずかしいのお…」とは思ったものの、とにかく百人一首初心者としては、一時の恥?をしのんで「超」入門書に接すべきと。借りてきたのはご覧ととおり、「ちはやふる」公式和歌ガイドブック『ちはやと覚える百人一首』なのでありました(照笑)。

 

百首が「恋の歌」、「春の歌」、「夏の歌」、「秋の歌」、「冬の歌」、「旅・離別の歌」、「雑の歌」にカテゴライズされて、それぞれの歌に(『ちはやふる』の登場人物かなちゃんが説明するという体で)解釈・解説が施されているというのが本書のありようですけれど、分けても圧倒的に多いのが「恋の歌」。実のところ、王朝時代の恋愛話にはなかなかに付いていきにくい印象があるもので、古文が疎遠になったのはそれも一因であったかと改めて。

 

それだけに初心者感丸出しであること敢えて表明いたしますと、映画でも競技の始まりに必ず読み上げられていた「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今を春べと 咲くやこの花」という一首は百人一首の埒外であった…とは、この本で初めて知ったくらいでありまして。序歌という位置づけで競技かるたの開会宣言にも等しいもののようですなあ。映画を見ているときには、毎回この歌が最初に出てくるので、これの札は手元に置いておいた方が得だろうなあてなふうに考えていたですが、なんともおろかな推量であったようで。

 

加えて、百人一首の選者・藤原定家平安末から鎌倉時代まで生きた人物であったそうで。どっぷり平安の人だとばかり思いこんでおりましたですが、百首の中に鎌倉右大臣(三代将軍源実朝ですな)の歌があって「あれれ」と思ったくらいでして。

 

そんな中、一首ごとの解釈の他に全般にわたるようなコラム的な解説が出てきまして、そちらの方にはそれなりの興味も。例えば、六歌仙の話です。要するに歌詠みの達人と受け止めていたところながら、喜撰法師、小野小町、僧正遍昭、在原業平、文屋康秀、大友黒主の6人を、『古今和歌集』の仮名序で紀貫之は「近き世にその名きこえたる人」として挙げた「だけといえばだけらしい。つまり、有名だとは言っても歌が上手いと言ってはいないそうなのですなあ。実際のところ、貫之は6人に対して手厳しい評を残してもいるようでして、むしろ柿本人麻呂と山部赤人の二人を「歌聖」として見ていたようです。

 

一方、歌の解釈の方に戻りますけれど、和歌の中には詠嘆の表現が誠によく出てきますですね。「~けり」とか「~かな」とかが付くものでしょうか。この詠嘆を現代の言葉に置き換えるとき、「~だなあ」などとされることが多々見受けられるのですが、どうもこれにも違和感を抱いてしまいまして、これも古文疎遠の小さな一因でしょうか。ですが、このことは古文がどうのというよりも、現代の言葉の貧困と受け止めた方がいいのかもしれませんですね。「~だなあ」って「何よ?」とぞ思ふ…てなものでありまして。「超」現代語にすれば、「~だよねえ」的言い回しになるようにも思うところながら、これをして詠嘆と言いましょうかてなもので。

 

その他、言葉の点では「朝ぼらけ」というのが「夜明けの早いころにほのぼのと光が射してくる様子」を表しているとか。朝起きぬけの寝ぼけたさまかと思ってましたが、いやはや。それに、月の影は月の光の意であるとか。また、「逢ふ」という言葉は単に出会うことではなくして、男女の交わりをも意味していたとは、学校の授業では取り上げにくいものもあったということになりますかね。

 

とまれ、おかげさまで今さらながら「百人一首」のなんたるか、その概略の一端は理解したつもりになっておりますよ。