いわゆる「長寿番組」というのがありますなあ。

TVで(まあ、ラジオでもですが)なんとも長い年月にわたって放送され続けている番組ですけれど、

長きにわたり放送される中では、時にその内容とまでは言わないものの、構成を変化させながら

生きながらえているというものもありますね。

 

それをダーウィンの「進化論」に擬えるのも「どうよ」ではあるものの、

「進化」と言ってその実は「適応」ではないかいね…と気付いてからはすっきりしたわけですが、

長寿番組も進化というより時代への適応を遂げて、長続きしているとはいえましょうか。

もっとも、適応させる側(よかれと思って変化させる制作者側)は必然と考える形であっても、

見る側にとっては違和感となって、番組は続くも見るのを止めてしまうこともありましょう。

 

例えば、極めて現代の口語言葉に近いセリフで展開されるNHK大河ドラマは

多くの人にとって「わかりやすい」とはなりましょうけれど、やはり違和感はぬぐえないところもあろうかと。

だからといって、いかにも「時代劇っぽい」言葉が使われたとして、

本当にその当時の人たちの話し言葉ではないでしょうから、いずれにもせよ…の世界なのですが。

 

ではありますが、かといって歌舞伎の義太夫を全て今の言葉で演じるとしたら

やはり妙なものになりましょうし、入口としての敷居を感じることがあっても、

そこはそれ、興味を持ってリテラシーを獲得するといったことも必要なのかもしれません。

武田砂鉄ではありませんが、「わかりやすさの罪」ということもあったりしますしねえ。

 

とまあ、やおらかようなお話に至りましたのは、今朝、

日曜ながらも(といって、退職後は毎日が日曜みたいなものですが)少々早起きをしてしまい、

ひっさしぶりにNTV『遠くへ行きたい』を見てしまったからでもありまして。

この番組、まだやっていたのですなあ。これも長寿番組ですよね。

 

まずもって「おや?!」と思いましたのはオープニング曲でありまして、

確かに「遠くへ行きたい」なのですが、思いがけないアップテンポな調子だったのでありますよ。

本来穏やかな、という以上にどこかうら寂しさのある日本的な短調で淡々と歌われる曲とのイメージながら、

少々ポップになっていたような。

 

また内容も、そのオープニングの印象に違わず、「紀行番組」というより「旅番組」、

「旅情報番組」とでもいいますか、そういう傾向に傾いているような気がしたものです。

 

「旅人」として野間口徹が高知県を訪ねて、「四万十川をジップラインで空中散歩」し、カヌーで川を下り、

レンタル三輪自動車「トゥクトゥク」で沈下橋を渡る。さらには、藻屑蟹や生姜の料理などに舌鼓を打ち、

栗焼酎を試飲する…と、アクティビティーとグルメ紹介的なるあたり、旅情報番組であるかと受け止めても

無理からぬ内容ではなかろうかと。

 

朝早い時間帯ですので、賑やかすぎたり、暑苦しすぎたりすることはありませんでしたけれど、

印象が変わったことは疑いないところと思えたものでありますよ。

 

本来的な紀行番組としての『遠くへ行きたい』は、こういう印象ではなかろう、

強いていえばかつてNHKで放送されていた『新日本紀行』にも近いものかと思うところですが、

これも長らく続いていた番組ながら休止されて久しいことからして、

『遠くへ行きたい』は時代を考慮した「適応」を遂げたというべきなのかもしれません。

 

一方でNHKでは、近年になって『よみがえる新日本紀行』が放送されたりもしていることを思いますと、

懐古趣味的なのかどうかはともかく、かつての(『遠くへ行きたい』が適応変化を遂げる前の)番組のありようが

一定程度望まれているところもあったりするであるなかと思ったような次第です。

 

決して「適応」を否定するものではないのですが、その底には「右へ倣え!」的な「適応」ばかりが

求められているとは(視聴者を慮ってとのことと制作者が考えるほどには)いえないのではなかろうと、

そんなことを考えたりもしたものなのでありました。