先に読み終えました『壊れた魂』はヴァイオリンにまつわる物語でもあったわけですけれど、
プロローグ(にあたる部分)とエピローグを除いて4章立てになっておりまして、
章ごとの見出しがかようなものであったのですなあ。
Ⅰ アレグロ・マ・ノン・トロッポ
Ⅱ アンダンテ
Ⅲ メヌエット・アレグレット
Ⅳ アレグロ・モデラート
それそれ、どんな意味であるかはともかくも、音楽用語であろうとは想像されるところでありましょう。
そして、急-緩-三拍子の舞曲風-急といったふうに並ぶところが、4楽章で構成される古典的な楽曲の
いかにもな形を示している…とは思い至るも、これが果たして何かの曲から持ってきているのか、
さすがにそこまでは気付くものではありませんで…。
さりながら、物語の始まりからして、主人公(長じて弦楽器製作者になった少年)の父親が
中国から来た留学生(物語としてはすでに日中戦争が始まっている時代背景ですが)とともに
アマチュアの弦楽四重奏を組んでいて、練習を開始せんという場面なのですな。
ここで取り上げられているのがシューベルト作曲の弦楽四重奏曲第13番イ短調「ロザムンデ」でありまして、
章立ての見出しは、まさにこの曲の各楽章につけられた言葉だったものですから、
この小説を読んでいる間(読みながら、ではありませんけれど)、シューベルトの弦楽四重奏曲を
ヘビー・ローテーションで聴いていたものなのでありました。
手元にありましたのは、アルバン・ベルク弦楽四重奏団の演奏によるシューベルトの2曲、
「死と乙女」と「ロザムンデ」がカップリングされているCDですけれど、ジャケット画を見ても
少女の後方から骸骨(死)が手を差し掛けているということで、「死と乙女」がメインかと。
いわば「ロザムンデ」はB面てなところかもですが、今回のヘビ・ロテはこちらの方で。
この曲が「ロザムンデ」と呼ばれますのは、第2楽章の主題が
自ら作曲した劇音楽『キプロスの女王ロザムンデ』の間奏曲から採られたからですが、
オーケストラのアンコール・ピースとしてもよく演奏されるこの間奏曲の、穏やかなゆったりした雰囲気が
寒い冬の日の終わり、お風呂につかって温まる気分…てなくらいにずうっと受け止めていたのですなあ。
今回、聴き直して「いやいや、なかなかに深い」とようやく気付かされた次第です(苦笑)。
ところで、手元のCDのライナーノーツにこんな一文があったのでして。
…ウィーンでの初演は(1824年3月14日)のときの印象をシューベルトの友人の画家シュヴィントは、つぎのように伝えている。「この曲は特色ある風情豊かな作品であった。とくにメヌエットの終わったあとには、大喝采を受けた。」
ウィーンの聴衆はなかなかの渋好み、玄人集団であったのでしょうかね。
メヌエットといえば舞曲、楽しく明るい踊りの音楽と思えば、
この楽章には相当に濃厚な憂いも感じられますので。
とはいえ、ここでかの一文に目を止めましたのは別の部分、
「シューベルトの友人の画家シュヴィントは…」というところでありまして、さりげなく画家シュヴィントとあるも、
このシュヴィントとはヴァルトブルク城に壁画を残した画家その人であったのですなあ。
シュヴィントもいわゆる「シューベルティアーデ」の仲間たちのひとりだったとは。
(もっともシューベルトを取り巻く文化的サークルの構成員をつぶさに知っているわけではないのですけれど)
シュヴィントは「シューベルティアーデ」と題するこんな絵を残してもおありますな。
鍵盤に向かっているのがシューベルトであろうことは、音楽室の肖像画を思い出せば判別しやすいところかと。
とまれ、31歳という若さで亡くなったシューベルトには、
作品も売れず貧乏で幸せ薄い…といったイメージもあちがちなところですけれど、
ことシューベルトティアーデという集いの賑わいを見る限り、そしてその集まりにはシューベルトの名を
冠してあるわけですし、不幸を一身に背負った人というばかりでは無かったのですよね。
当時の文化人なれば、楽器のひとつやふたつ(あるいは歌に自信があるとか)は演奏できたのでしょう。
自ら楽しむ集まりのあり方は、演奏会で曲を聴くという形ではない音楽との接し方があるわけですが、
機能分化が進んだ結果として、いささか音楽との関わりが受け身になってもいようかと。
もそっと直接的に「音楽する」関わり方があってもいいのかなと思ったりしたものでありますよ。