「事実は小説より奇なり」とはよく聞く言葉ですけれど、どうやらバイロンの言葉だということで。

ちょいと前に見た映画「メアリーの総て」でも登場人物のひとりであったバイロンは

その人自身が相当に「奇」なる人物であると思われますので、実際にある人の行動や生活(事実)が

想像を巡らして作りだされる行動や生活(その記録としての小説)よりも奇であるというのは

正しく実感であったかもしれませんですね。

 

もっとも、それほどの「奇」ということではなくとも、

実際にこういうことがあるのだねという事実が世の中にはたくさんある。なればこそ、

近年の映画で「実話に基づく」といった話がたぁくさん作られもするのでありましょう。

今回見た映画「マイ・バッハ 不屈のピアニスト」もやはり実話ベースのお話なのでありました。

 

“20世紀最も偉大なバッハの奏者”ジョアン・カルロス・マルティンス。全てを手にし、全てを失ったピアニストの心揺さぶる感動の実話。

というふうに、フライヤー裏面には書かれてあるところながら、

おもて面でピアノに向かうシルエット像だけを見て、バッハ弾きのピアニストの話となれば、

グレン・グールドなのではあるまいかとひとり合点して見始めたというのが実際のところ。

ジョアン・カルロス・マルティンスというピアニストを知らなかったものですから。

 

日本で知られるきっかけとなったことに、リオデジャネイロのパラリンピックが挙げられるようですけれど、

そのときにもオリ・パラをスルーしていたのであるなと改めて。まあ、そのときにはすでに76歳だったわけですが、

それでも抱えてしまった両手の不具合を克服すべくリハビリを続けた結果なのでしょう、

国歌演奏に登場したということですから、「不屈のピアニスト」とはなるほどです。

(どんなトラブルがあったのは映画のストーリーに譲っておきます)

 

ただ、「Joao, o Maestro」(マエストロのジョアン)という原題が「マイ・バッハ」になってしまったのは、

ジョアンがバッハの鍵盤音楽全曲録音に取り組むほどにバッハに入れ込んでいるからでしょう。

そして、バッハの音楽との関わりを保ちたいがための懸命なリハビリでもあったのかと。

そうした強い思いが無ければ、人は容易に挫けてもしまうわけで。

 

さりながら、挫けてしまうことをとやかく言うつもりは全くありませんですよ。

挫けてしまうことの方が多いであろう中で、そうはならなかったこそ「不屈のピアニスト」と言われるのであって、

誰しもに同じことはできませんし、かといってできなかったからといって全否定されることでもないですから。

 

ですから、思うことのひとつはバッハの音楽がもらたすものということでもあろうかと。

200年以上の時を経てなお、人の心に強さを与える音楽を残したとは。

 

もちろん一人バッハの作品に限ったことではない音楽の力の発露ではありますけれど、

逼塞するような生活を送る毎日にあって、これを機と久しぶりに「ミサ曲ロ短調」に耳を傾けてみたところ、

ぐじぐじとしがちな心の毒を洗い落してくれる気がしてきましたし。

これから「芸術の秋」とも言われる季節がやってくるのを前に、しばし清々しさが得られたものでありますよ。