フランケンシュタインと言えば怪奇映画を代表する怪物として、

藤子不二雄のマンガ『怪物くん』では桃太郎に従うイヌ、サル、キジのごとくに

狼男、ドラキュラにフランケンが怪物くんに従う三人衆となっておりすなあ。

 

されどフランケンシュタインという名は、実はそのモンスターを生み出した科学者の名前であることも

よおく知られてきておりますが、その原作である『フランケンシュタインあるいは現代のプロメテウス」なる小説を

書いた人にはあまり脚光は当たっておらなかったような。かつては邦訳本でもシェリー夫人てなふうに

記されていたような。『アンクル・トムの小屋』の作者がストウ夫人となっていたごとしです。

 

ただ、この小説『フランケンシュタイン』の出版当時は匿名で発表されたそうですな。

女性が長編小説を発表するのは、これ以前にもジェイン・オースティンがいたりもするところながら、

それでも恋愛小説的なるものならばいざしらず、SF風でさえある内容に「ほんとにあなたが書いたの?」と、

面倒な物議に巻き込まれるのを恐れた版元と、ようやっとの妥協で匿名に至ったのかもしれませんですね。

 

本と出す方としては売れてほしいわけですから、

詩人として知られるようになっていたシェリーこそが作者とでも言いたいところだったでしょう。

そもそもシェリー夫人メアリーが小説の着想を得たのは、バイロンの別荘で退屈しのぎに行われた、

怪奇譚の即席発表会の折ということですけれど、このとき同席していた医師のジョン・ポリドリが

後に『吸血鬼』として知られる物語を披露したところが、出版される際にはバイロン作にされてしまった。

バイロン自身が自分の作ではないと言っているのに…。

 

とまあ、そんなバイロンの別荘でのやりとりなども含め、

メアリーが『フランケンシュタイン』を生み出すに至った背景、それまでの人生をなぞる形で描かれているのが

映画「メアリーの総て」なのでありました。

 

 

映画でのお話をそのまま事実と受け止めるつもりはありませんけれど、

子どもの頃からゴシック・ホラーに魅せられており、

それを自らの誕生と引き換えに亡くなってしまった生母が埋葬されている墓地で読んでいる…とは、

出だしからして怪奇譚を生み出すのが何もバイロンの別荘での座興の際の思い付きではないことが

よおく想像できるわけですね。

 

小説『フランケンシュタイン』を読んだことがある方は想像がつくものと思いますが、

話の展開が入れ子の構造になっていたりするなど、かなり練られた構成であって、

たくさん読んできた蓄積に自らの見聞や想像を加味して熟成させていったように思われるわけです。

即席で怪奇譚をと言われたその場での思い付きではないと思うのですよね。

 

もちろん座興として発表した際にほぼほぼ完成形だったとまでは言いませんが、

何しろそれまでの、そしてその後のメアリーには作品に入り込むさまざまな気付きが

都度都度あるわけですし。

 

ただ、他に作品が全くないわけでは無いようながら、『フランケンシュタイン』ばかりが知られるとは、

これがメアリ―20歳になるやならずの頃にして、すでに生涯の一作となっていたのでありましょう。

 

映画と原作小説との関わりで「見てから読むか、読んでから見るか」てなふうにも言われますが、

この映画についていえば、(映画の原作ではないものの)小説『フランケンシュタイン』を読んでから

ご覧になる方がより話に入り込みやすく、受け止めるところも大きいように思いますですよ。