25年前になりますか、ペルーの首都リマで日本大使公邸が武装組織に襲撃され、
パーティー参加者らが人質になるという事件がありましたですね。
警察の突入によって解放されるまでに4カ月余りも掛かったこともあり、
犯行グループの者たちと人質たちとの間にある程度の交流が生まれ…となりますと、
思い出すのは「ストックホルム症候群」ということになるところながら、実はこれとの対比から
こちらの事件に関しては「リマ症候群」という言葉が使われたりもするようで。
Wikipediaにはこんな説明がありますですよ。
「犯人が人質に感化され、同一化を望む過程で、犯人が人質の文化を取り入れ、学習し、その結果として、犯人の人質に対する攻撃的態度が緩和されること」
要するに「ストックホルム症候群」の逆パターンですな。犯人側が人質に同情的になるという点で。
そのあたり、実際の事件をモチーフに作られた映画「ベル・カント とらわれのアリア」を見ると、
なるほどねと思ったりするところです。
タイトルからすると「音楽映画?」と思ってもしまうところながら、かの人質事件に想を得た作品でして、
人質の中に世界的に著名なソプラノ歌手がいたという設定は作り物ではありましょうが、
犯人グループの中で歌好きな若者がレッスンを受けることになったりするのは
「リマ症候群」と呼ばれる事象の、ひとつの表れでもあるわけですね。
ところで、リマの事件からさらに遡ること20年、1976年にはエンテベ空港事件というのがありましたですね。
イスラエル・テルアビブ発パリ行のエールフランス機が4人のテロリストにハイジャックされ、
ウガンダのエンテベ空港に強行着陸し、乗員乗客が人質としてそのまま空港内に留め置かれた事件です。
映画「エンテベ空港の7日間」というタイトルが示すようにリマの4か月余に比べれば至って短期間ですが、
犯人グループと人質の間には「リマ症候群」も「ストックホルム症候群」も生じなかったのは
期間が短かったからというばかりではないのですよね。
決定的な違いは、犯人側が人質をどう捉えているかという点でありましょうか。
ストックホルムの場合もリマの場合も、犯行に及んだ側は何らかの要求を通すために人質をとっているのでして、
人質となった人たちには、いわば恨みつらみは無いわけです。ですから、だんだんと互いを人として見る中で、
後に「症候群」と名付けられるような状況が生まれもするのですよね。
ところが、エンテベの場合、犯人グループ4名のうち2名はパレスチナ解放人民戦線に属しており、
ハイジャック機はエアフラとはいえ、テルアビブ発で乗客の中には多くのイスラエル人がいたわけです。
パレスチナとイスラエル、もちろん個々のレベルでの恨みつらみではないものの、相互の確執は
明らかに現前していますから、犯人側には過酷さが人質側には尋常でない恐怖があることになりますね。
事件の結末として、イスラエル国防軍の急襲によって人質は解放・奪還されることになりますが、
当時はこれを「エンテベの勝利」(こういうタイトルのアメリカ映画も作られておりますな)として
大きく称揚されましたですな。
確かにテロリストに屈することなく、人質奪還作戦に成功したのであるからと言えばその通りですけれど、
イスラエルという国の姿勢といいましょうか、そのあたりに思いを致しますと実に実に悩ましいと言いましょうか。
確かにユダヤ人は国を追われ、ディアスポラの結果、あちこちに拡散して生きていくことになり、
長い長い年月にわたって迫害を受けた上に、ナチス・ドイツによるホロコーストまであって、
それらのことがイスラエルという国の姿勢を作っていったものとは思いますけれど、
かつて自らにされたことを今度は自らがやり返すようなありようであるのはどうなのだろうと、
悩ましさの根っこはそんなことでもあるわけですね。
自らの義のためにはいかなる犠牲も厭わないとなると、どちらがテロリストなのか分からなくもなるところです。
ここで引き合いに出すには場違いな気もしますですが、ジャッキー・チェンの映画「プロジェクトA2」では、
清朝打倒を図る革命家たちの行動に対して、ジャッキー演じる警察署長ドラゴンは
革命を目指す心意気たるは良しとしても、そのためには手段を選ばないとするような者に与することはできないと。
強行な手段によって歴史が変わるといった場面はこれまでにたくさんあったとは思いますが、
「歴史に学ぶ」とはそれを成功事例として見ることではないですよね、言うまでもなく。
それが分かっていながらも、人はそれを繰り返していかざるをいけないのでありましょうかね…。