英国にある「AA(適切な大人)」という制度 に触れましたときにも、

つい思い浮かんで「ストックホルム症候群」などという言葉を使ってしまいましたですが、

あらためてこの「ストックホルム症候群」を「コトバンク」(デジタル大辞泉)にあたってみますと、

このように出ておりましたですな。

誘拐事件や監禁事件などの被害者が、犯人と長い時間を共にすることにより、犯人に過度の連帯感や好意的な感情を抱く現象。

先に触れましたときにもこうした理解の下、

被疑者とAAたる立場の人物が共感するようになるところを見て、

この言葉を引き合いに出した次第でして、素人考えで広げて考えると、

例えば映画「6デイズ/7ナイツ」(ばかりでなく、例はたくさんありますが)に見られるように、

苦難の体験を共にした同士が惹かれ合うといいますか、どちらも相手がとても大事に、

愛おしくも思えてしまう…てなあたりともつながっているかなと考えたりしたものです。

 

ただ語釈で「現象」と言われていますように、「症候群」と言いながらもその実、病

気の類いではなくして思い込み、仮に病気的なる症状を併発したとして、

まさに「病は気から」の「気」の部分なのであろかなとも思うところです。

 

が、このほど「ストックホルム症候群」という言葉を生み出す元ととなった事件の映画化、

「ストックホルム・ケース」を見て(実話ベースとはいえ、どこまでが本当かは分かりませんが)、

あまりに広く「ストックホルム症候群」と言ってしまっては誤りなのであるかといったふうに

考えたものなのでありますよ。この事件ならではの事情があると言いますか…。

 

人は、突然に事件に巻き込まれて人質となる。そして、死ぬかもしれないと覚悟する。犯人の許可が無ければ、飲食も、トイレも、会話もできない状態になる。犯人から食べ物をもらったり、トイレに行く許可をもらったりする。そして犯人の小さな親切に対して感謝の念が生じる。犯人に対して、好意的な印象をもつようになる。犯人も人質に対する見方を変える。

ストックホルム症候群に関してはこのような報告がWikipediaにありまして、

なるほどとも思わせるところでありますね。監禁事件などにも通じる心理状態が生まれるのでしょう。

 

さりながら、ストックホルムの事件の犯人ラース(イーサン・ホーク)は、

(この映画で見る限りにおいてですが)かような強者の許可、弱者の感謝という関係が生じるような、

そうした圧倒的な強者の立場には立っていないように見えるのですなあ。

 

確かに銃を突きつけられて行動を制約されているのは間違いのないところですけれど、

哀れなほどに人間味があるといっては語弊ありかもながら、なんとなく人質側にも

この人、ほおっておけない…という感覚は生じてもこようかと。

 

身の上話に耳を傾けてみれば、

(こうした状況でも悪意をもって人に作り話を聞かせるような犯人もいましょうけれど)

根っから悪いわけでなく、運の悪さがどうも抜き差しならない状況を作り出してもいると

同情してしまったりするようなところがあるわけです。

 

だからといって、銀行に押し入り人質をとって立てこもる挙に出ることを

「仕方がない…」と言うつもりは毛頭ないわけですが、

どこかで狂ってしまった歯車のかみ合わせを修復できないのだろうと想像するにつけ、

何かが違えば、ラースの人生には事件とは全く違う何かしらになっていたのであろうと。

 

例えば、人との出会い。こう言ってはなんですが、

それが事件でたまたま人質になってしまったビアンカ(ノオミ・ラパス)であったのかも。

 

たぶん「ストックホルム症候群」と言われるものを描き出すのに

適当化した人物造形をしているとは思うものの、

単に一般化された「ストックホルム症候群」(上に引用した報告のような)もあろう一方で、

この言葉が生まれた事件には、その場ならではの事情といいますか、

そんなものがあったのかもしれんなあと思ったものなのでありますよ。