CSのAXNミステリーで「適切な大人~連続殺人犯フレッド・ウェストとの対峙」という英国ドラマを見たのですが、
タイトルの「適切な大人」とは要するに物語に関わる比喩的な意味合いで付けられたろうと思っていたところ、
英国には「Appropriate Adult(AA)」、敢えて日本語にすれば「適切な大人」という「制度」があるのだとか。
さりながら「適切な大人」でネット検索しても、このドラマを紹介するサイトばかりが並ぶ結果が出て来て、
わずかにこの制度に関わる研究者の論文といったものがヒットするばかり。
それほどに日本では馴染みなく、知られてもいない制度なのでありましょう。
ドラマ紹介の中では「犯罪容疑者の取り調べに立ち会い、容疑者の精神的なサポートをする役割」とあるも、
いつでもだれにでも付くわけではないようで、被疑者が精神的、知的な部分で障害を抱えていたり、
未成年者であったりした場合に付き添うことになるようで。
つまりかかる状況にある被疑者を弱者、あるいは脆弱性ある大人(Vulnerable Adults)ととらえることで
適切な大人(Appropriate Adult)という名称になっていると。
唐突に「適切な大人と言われても…」ですものえねえ。
とまれ、取調室では警察と被疑者&弁護士が向かい合う両者の間に席を占めて、
例えていうならば労働争議の調停にあたり、使用者側委員、労働者側委員のほかにいる
公益委員のような存在でもありましょうかね。
そうなると先の紹介文にあった、被疑者に寄り添う印象とは異なってくるような気がしますが、
そも被疑者側にぴったり寄り添う立場として弁護士がいるとするならば、
適切な大人(この後はAAと言いましょうか)の役割はやはり中間的、第三者的なのかもしれません。
もっとも、実際にあった連続殺人事件に基づくこのドラマでは
被疑者フレッド・ウェストに対するAAの感情移入が大きくなっていたようにも感じられ、
さまざまな点でなかなかに危うさを抱えた制度なのかもと想像したものでありますよ。
改めてですが、ネット検索で見かけた法務省の「法務総合研究所研究部報告」というレポートの中では、
AAについてこんなふうに記してありましたな。
AA の役割は、警察の取調べに立会い、取調べが適正・公平に行われているかを観察し、取調べを受けている本人と警察官のコミュニケーションを促進する役割を担う。
ここからは先の番組紹介文にあった「容疑者の精神的サポートをする役割」というよりも
第三者性が強調されておりますね。これが本来なのでしょう、きっと。
本作の主人公ジャネット(エミリー・ワトソン)は研修を受けて初めて実際に担当するAAとして、
(研修直後である場合には経験者が同行して、インターン的に臨むというのが本来らしいですが)
被疑者フレッド(ドミニク・ウェスト)の取り調べに立ち会うことになりますが、
公式な取り調べ記録に残らない(休憩として取調官が離席中などの)会話として、
フレッドがなにくれとなく話し掛け、果ては事件に関わるようなことも語るを耳にすることに。
AAにも当然に守秘義務があることを知っていてフレッドは話し掛けてもいるわけですが、
そのことにいささかの親密性を感じたジャネットは、起訴後に収監されたフレッドを独自に訪ね、
対話を重ねるのですよね。
このあたりに感じるのは、ストックホルム症候群的なるものでありましょうか。
AAに危うさを感じた理由のひとつでもあるところです。
それだけに「プロフェッショナルAA」と呼ばれるAAの専門家がいるのは当然といえば当然かと。
親族ほか一般人が携わることができる制度であるとしても。
司法への一般人の関わりとして、日本では2009年に始まった裁判員制度がありますけれど、
司法が国民と遊離したものではないことを知ってもらうためということは理解するものの、
それでも携わる案件、また携わり方によってはPTSDに脅かされることもあるわけで、
ごくごく一般人として日常を送る者にとっては、これまた危ういところのある制度でもあるような。
そうである以上にAAの場合にはさらに被疑者との距離が近く、
「立ち会ってください」、「はいそうですか」とはいかないものでありましょう。
裁判員とAAを、とてもいっしょくたにはできませんけれど、
人が人を裁く場面そのものの難しさをまた感じたりするところでありましたですよ。