さて、梅見でもと出かけた百草園が混んでいたので、ふいに目的地変更をしたというお話。

百草園から帰りは高幡不動駅まで歩こうと考えていたルート上の分岐点に看板を見つけたもので、

予定はしていなかった行き先ですが、こちらになります。

 

 

日野市立小島善太郎記念館。確か画家だったよなあ…くらいの印象ではありましたが、

ここは91歳で亡くなるまで住まった住居兼アトリエだということ、訪ねてみれば興味深かったですなあ。

 

ただ、この門までたどりつくのに、百草園まで登り詰めた道を一気に下らねばならない。

そして、この門を抜けた先にはこのような石段が待ち構えておりまして。

 

 

アップダウンに少々ひいこらしながら、建物までたどり着くという次第なのでありますよ。

もっとも、この「百草画荘」(と呼ばれるらしい)にやってくる人が皆、

百草園方向から下ってくるわけでもないでしょうけれど。

 

 

しかしまあ、石段を登った先だけあって、庭からの眺めはなかなかに開けたもの。

丹沢山系が望めるのですな。かつては富士も姿を見せていたようですが、今では障害物があり…。

 

 

というところで邸内へと入ってまいりますと、玄関から右手に繋がるアトリエ部分が公開されており、

このフライヤーに画像のある作品が壁面いっぱいを飾っているのでありましたよ。

 

 

パッと見、どうでしょう。色合い的にも思い浮かべるのはセザンヌだったりするかもしれませんですね。

題材としても、桃を描いた静物画あり、はたまた山並みの風景は

サント・ヴィクトワール山を思い出すところですが、実は「早春の八ヶ岳」であるそうですけれど。

 

しかしながら、小さく見えている自画像に見る濃い陰影はまた趣が異なるように思えるわけでして、

27歳の若書きだから?とも想像するところながら、その陰影の濃さに思い当たるところがありまして。

 

 

これは群馬県立近代美術館で見た安井曾太郎の、フランス滞在中の一枚「足を洗う女」です。

例によってモノクロ画像ですので、陰影がといっても判然しないところかとは思いますが、

少なくとも淡くも明るくもない雰囲気には気付かれることでありましょう。

 

そも安井曾太郎といえばセザンヌの影響を強く受けたと言われるところながら、

この作品は安井自身、ドーミエの影響を語ってもいるようですし、

ドーミエの「洗濯女」(ルーヴル美術館蔵)との形態の類似があるとも言われておるようで。

 

で、小島善太郎なんですが、安井曾太郎の弟子だったのですなあ。

それがかかる陰影ある自画像を描いたり、あたかもセザンヌかという風景画や静物画を描いたりする。

まるで弟子が師匠の軌跡をなぞってでもいるのであるかと考えたものなのでありますよ。

 

 

こちらは庭に置かれてあった石ですけれど、刻まれた文字には「画はわたしの自伝です」と。

まさにアトリエにあった作品を見て回れば、作風の変遷ともども小島善太郎の生涯が分かってくるかも。

この石は、小島善太郎から来訪者へのご挨拶でもありましょうかね。