「今日は、玉川上水に来ています」…てな始め方は、ん~、「ブラタモリ」のパクリでもあるかなと(笑)。

このあいだの休日出勤の振り替えで金曜日ながら、ご近所散歩へと。

この土日はどうやら陽だまりを得られそうになさそうですものね。

 

 

とまれ、この玉川上水、人口増加の著しい江戸市中に飲料水等を供給するため、

多摩川の水を延々43kmにもわたって導く水路であることはよく知られたところでして、

御茶ノ水と水道橋の中間あたりにある東京都水道歴史館の展示で詳しく説明されていたりしますですな。

 

しかしまあ、長い距離を導水するわけですが、自然の高低差を利用しておりまして、

43Kmの区間の高低差は約92m、つまりは100mあたり21cm低くしていくことでできているとは

大した土木工事ではなかろうかと。

 

これまでの近隣散歩でも見ましたように多摩川の両岸にはいくつかの段丘崖がありますので、

川から取水した水を低い方へ低い方へ流そうとすると、段丘崖上の土地を通すのに

かように深く掘り下げねばならなかったのですなあ。

 

壁面はいかにも削りとりましたという形状ですけれど、

もしかして江戸時代に掘られたままなのですかね、風雨による浸食はあるしても。

 

…と感心する玉川上水ですが、その水路に沿った遊歩道は近隣だけに部分部分は

ちょこちょこ散策に及んでもおりますので、今回はちと脇の方に目を向けようと。

 

玉川上水の本流はひたすら江戸市中を目指すものではありますが、途中いくつも分水されて、

武蔵野の雑木林でしかなかったところを農地化する役にも立ったのですな。

立川市と小平市、東大和市の市境に近いと小川橋のあたりでも、

上水のすぐお隣をこのような水路が平行して流れておりますよ。

 

 

ほどなくしてこちらの水路は上水本流との平行状態を離れ、「小川用水」と呼ばれるようになりますと、

部分的に水辺近くに寄り添う歩道が付けられているところがあるのですね。

 

 

「彫刻の谷緑道」とは道沿いに、というかせせらぎ沿いにいくつか彫刻が置かれてあるからでして。

このまま水路沿いに進んで行ってひょいと右に入りますと、よく美術館にお邪魔する武蔵野美術大学がある関係で

そこの学生による作品が点在しているということなのでありますよ。例えば、このように。

 

 

 

 

特にタイトルの表示があるわけでなく、それらは芸術作品であることを主張するよりも

せせらぎの風景に時々アクセントを添えるべくひっそりと存在しているのでもあるような。

 

気付かず、何も思うことなく通り過ぎられては、作品に存在価値はあったのか…と作者たちは

思うかもしれませんですが、これはこれで確かな存在感があるのですよね。

置かれて「ある」ことを見た後に、何も無い部分を顧みるとのぺっとした表情に見えてしまうのですから。

 

 

とまあ、そんなさりげなさを醸すオブジェの中には(当初から意図していたかは分かりませんけれど)

経年変化も加わってか、むしろ自然と同化しつつあるように思えるものも。

これって立ち枯れた木でも朽ちた木材を放置したのでもないですが、

そうした錯覚をさせるところに妙味がありますな。

 

 

真ん中のは、流れには別途地下に側溝があってメンテのために入り込む入り口に蓋がされている…てなふう。

そして、下のは部分的な土留めでもあるかと思ってしまうところです。

ともすれば、置かれているその場でオブジェは「場違い感」を漂わすことがありますけれど、

これらは思いのほか馴染んてそこにあるという印象なのでありましたよ。

 

 

このあたりまで来ます「彫刻の谷」らしさは無くなり、小川用水はいかにも平地の用水路となり、

この先で暗渠となって町の下に隠れてしまうという。

 

まあ、かつて田畑を潤した疏水が多摩のあちこちに流れているようでして、

少しずつ春へと向かううつろいをそんな水辺歩きなどをしながら感じることになる、

というよりそのくらいのことしかできない不自由な日々はもそっと続いてしまうのかもしれませんですねえ…。