ウィーンのニューイヤーコンサートといえば当然に1月1日なわけでして、
日本でも元旦に放送があり、さらにはすでに再放送まで終わっているところながら、
例によって遅ればせに録画しておいた「ニューイヤーコンサート2021」を見たのでありますよ。
ウィーン・フィルにデビューして50年というリッカルド・ムーティーが登場し、
イタリアとゆかりある曲もあれこれ演奏されたわけですけれど、
かつてのオーストリアとイタリアの関係に思いを馳せますと、どうも穏やかならぬ思いにもなりまして。
19世紀の間、リソルジメントによってイタリアは統一国家とはなるものの、
オーストリアとの間でいわゆる「未回収のイタリア」が残ったりしてますですね。
それがためトリエステの愛国者の中から皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の暗殺計画が持ち上がったりも。
そのフランツ・ヨーゼフ1世の時代はそっくりヨハン・シュトラウス2世の時代に被ることになりますから、
オーストリアとイタリアの間には微妙な空気が流れていたのではありますまいか。
1842年初演とは未だイタリア独立前の話にはなりますけれど、
ヴェルディの歌劇「ナブッコ」で歌われる合唱曲「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」は
バビロン捕囚となったユダヤ人が故国を想って歌う曲ながら、オーストリア支配下にあるイタリアに擬えられ、
やがては第二のイタリア国歌とも言われるようになる土壌があったわけでして。
とまあ、そんな時代背景のある中で、ヨハン・シュトラウス2世は
次々とワルツ、ポルカその他膨大な作品を生み出していきますけれど、そうした中に
今回のニューイヤーコンサートで演奏されました「新メロディ・カドリーユ」もあるわけですなあ。
ヴェルディのオペラから有名なメロディーを借用して(といって、「ナブッコ」は入ってないと思いますが)
舞踏会用の曲に仕立てた一作は、ウィーン、つまりはオーストリアと指揮者の故郷イタリアとを、
(あたかもいい関係であったかのように)つなぐものとして紹介されていたやに思いますが、
はてさてどうなのでありましょう。指揮者ムーティーにしてみれば、過去は過去として…でしょうか。
ただ、意識の点ではオーストリア側とイタリア側の間に
大きな隔たりが常にあったのではなかろうかと思うところでして、
「未回収のイタリア」にもつながるオーストリアのアドリア海沿岸支配は元来内陸国であるオーストリアは
海の出口、港を失いたくなかったからとも言われますけれど、例えば音楽の世界を考えてみますと、
オーストリアはイタリア人音楽家にとって稼ぎ場所でもあったという面があろうかと。
モーツァルトの時代のみならずその後にも影響力を持つ宮廷楽長として君臨したのは
イタリア人のアントニオ・サリエリだったりしたわけですし。
このことはおそらく、ゲーテが太陽の国イタリアに憧れていたこととも同じように、
内陸の山国であるオーストリアは海に開けた陽光燦燦のイタリアに憧れていたことを思わせますですね。
私(オーストリア)はこんなにあなた(イタリア)のことが好きなのに、なぜあなたは私から離れていこうとするの?
たとえほんの少しでもあなたと一緒にいたいのに…てなことが「未回収のイタリア」になったりもしたような。
ドイツ人は思索的てなことを言われますが、オーストリアも似たようなものかも。
雲が重く垂れ込める気候風土の中では自ずと内省的になるところがありましょうことは、
状況が異なるにせよ巣籠りが求められる昨今に通ずるものがあり、そんなときにはお日さまが妙にありがたい。
イタリアに憧れる由縁でもありましょう。
オーストリア側の我がままな片思いに対して、イタリアの方はといえば、
先に「過去は過去として…」てなふうにも言いましたですが、結構あっけらかんと根に持たないタイプなのかも。
イタリア人指揮者ムーティーがニューイヤーコンサートのプログラムに持ち込んだのは、
そんな前向き肯定的な思いであったのでもありましょうかね。