これは「クールベさん、こんにちは」 。
これは「ゴーギャンさん、こんにちは」。
そして、これは「ゲーテさん、こんばんは」。
たまたま図書館で見かけて、クールベ、ゴーギャンの絵のタイトルに似てると思い込み、
読んでみたということであって、前二者の出番はこれ以降もうありませんです、はい…。
とまれ、本書はゲーテ の生涯をさくっと読み物風にまとめたものでありまして、
断片的にはあれこれ知っているものの、「ゲーテとはこういう人でもあったか」と思うことしきり。
書き方からして…ということでもありましょうけれど、いわゆる文豪、偉人としてのゲーテよりも
ゲーテという人(大してありがたがるまでもないような…)が立ち現われてくるのでありました。
ゲーテを詩人として受け止めている方にはがっかりものなのかもしれませんが、
どうもゲーテという人は濫作であったようですね。
どこまでを「作品」とみなしていたかは分からないものの、
そこらにある紙(例えていうなら新聞の折り込みチラシの裏みたいな…)にどんどん書きつけていく。
もちろん後から熟考して清書というケースもありましたでしょうけれど、
どうやらそのままのものもあるようで。
ともすると、ゲーテの箴言であるかのように扱われる詩句の中には、
思い付きの書き付けであって、状況的にはとても箴言の理解とは遠い遠い
俗な背景があったりするようでありますよ(中には、ですが)。
詩作も含む作家、文学者としての側面以外に有名なのは
ワイマール公国の宮廷顧問官であったということでしょうかね。
任期途中で完全に職務をほっぽらかし、イタリアに滞在していたのが
後に「イタリア紀行」として纏められ、これはこれで今に残る作品となっているわけですが、
この任務をほっぽらかし…という部分は余り多く語られないような。
「そんな無責任な!」と思うのは簡単ながら、その背後には「偉い人なのに」的なところがあろうかと。
ですが、ゲーテもまた人なのだよねと思うと、「おいらにゃあ、逃げ出す勇気はないね…」みたいな
見方が出て来るのかも。
その「イタリア紀行」の道中にからんで、ゲーテが記録したあれこれを見ると、
これまたゲーテの興味は相当に広い範囲であることが分かるようですね。
ひとつには石集めでしょうか。宮澤賢治なんかもそうかもですが、
世に鉱物好きの人はいるもので、ゲーテもその一人であったような。
これがそもそもからなのか、ワイマールでの仕事(鉱山なんかにも関係していた)故なのか、
はたまた両方なのか、イタリアという土地柄が変わったところへ出向けば、
転がっている石もまたドイツのものとは異なるのでしょう、
「拾って帰りたい…でも、荷物が重くなる」と身もだえしたようす。
意を決したように「イタリアから石は持って帰らない」と綴りながらも、
遺品となった鉱物標本の中にはイタリア由来の石が山ほどあったとか…。
何とも愛すべき人(愛すべき部分のある人というべきか?)だったのかもでありますよ。
詰まらぬことでも思い悩んだりするような姿があって、
いろんな意味での「人間」の姿を盛り込んだかのような「ファウスト」を書くゲーテがいた。
そんなようなことになりましょうかね。