埼玉県立近代美術館で上田薫展を見て、どうやら作家の思いとはあずかり知らぬところで

勝手にシュルレアリスムの気配を感じたりしたのですが、ついでにMOMASコレクション展も覗いておこうと。

MOMASというのは同館の英文略称ですけれど、それはともかくこちらの方でも改めてシュルレアリスムを想う、

幻想的な作品に出くわすことになったのでありました。

 

 

まずはこちら、ピカソ描くところの静物画でして、「ああ、キュビスムだな」と思うところかと。

ですが、1944年作のこの一枚、ピカソがキュビスムに入れ込んでいた時期は遥か昔、

その後にシュルレアリスムにも興味を示した時期をも過ぎた頃ですので、

キュビスムとして見ますと、かつてのような攻撃的な?尖がりは鳴りを潜めているような。

 

むしろ、シュールな気配が漂うようにも思われるところですけれど、1944年というまさに戦争の最中、

パリはナチス・ドイツの占領下にあったとなれば、やはり含むところは多いのでは。

キュビスム的手法はそんな心象を欺く手管かもしれませんですね。

 

 

お次は一目瞭然なデルヴォーの作品。1948年作の「森」というタイトルの一枚です。

右手に大きく裸体の女性と、左側には(見えにくいですが)森の奥へと進むらしい機関車が描かれていますが、

裸婦も機関車もデルヴォー作品お決まりの要素でありますね。

 

こうしたデルヴォー作品を見るときにつくづく思いますのは、

作者はひたすらに「夢」の世界を描いたのであるなあということなのですね。

 

幼い頃からの憧れ、そして愛してやまない(されど、屈折した気持ちを抱えている)ものが

ストレートに素材になっているわけですけれど、個人的にもこの年末年始に見た夢というのは

なんともシュールな世界であるかと、断片的に思い出しては考えるところでもあるものですから。

 

 

もうひとつは(色合いにやや鮮やかさが欠けるのは写りが悪かっただけですが)

1925年作、シャガールの「二つの花束」です。

シャガールもまた、同じモティーフを繰り返し描いていますけれど、

デルヴォーに比べるともそっと構図などの点に作品としての作為を込めている気がしますですね。

こうしたバリエーションのあるところに思い巡らすのも、シュルレアリスム作品を見る楽しさでしょうか。

 

ところで、コレクション展示の室内には日本の作家による作品も並んでおりまして、

小倉遊亀の「青梅」という作品(撮影不可)の展示解説にあたって、作者の言葉が添えられておりました。

この一言がいいですね。新春なればこそ、再度心に刻んでおきたいものと思うのでありますよ。

梅の花がぼつぼつ咲きだして来ました。毎年咲く花がまた咲いて来たような錯覚をもっておりますけれど、そうじゃなくて、あれは今年初めて世の中に出来た花です。したがって初めてお目にかかった梅の花でございます。