オステンドからのトラム で到着したシント・イデスバルトは途中に通り過ぎた町々と同様に
海岸沿いにはリゾートマンションが立ち並んでおりました。
ですが、海とは反対側、「Delvauxmuseum→」の看板に従って入り込んだ住宅街は、
どうやら別荘地であるということなのですね。
お金持ちが夏のバカンス用に持っているようで。
案内看板を探しながら進む道々、どちらを向いても瀟洒な邸宅ばかりがならんでおり、
目指す「ポール・デルヴォー美術館」もうそうした並びの中に融け込むたたずまいでありましたよ。
画家ポール・デルヴォー は、そのフランス語っぽい名前のとおりに
ベルギーでも南側のフランス語圏、ワロン地方のリエージュ州の生まれ。
長らく住まったのはブリュッセルとあって、フランデレン地方に位置するシント・イデスバルトは
もしかして無縁の地?とも思ったところがどうやらそれは大間違いのようで。
作品にたくさん登場する裸婦像はデルヴォーにとって、
女性に対するコンプレックスの顕れとも思われるところですけれど、
若いころに出会い愛した女性との交際を最愛にして最も畏怖した母親に
反対されて別れてしまった…ということがありました。
そうこうするうちにデルヴォーは画家となり、おそらくはお金持ちの仲間入りもしたのでしょうか、
シント・イデスバルトで夏を過ごすようになるのですな。毎年訪れたようでありますよ。
そんなある日、買い物に立ち寄ったデルヴォーは若き日に愛した女性とばったり再会。
そのときにはかつて反対をした両親は亡き人となっており、晴れて結婚ということに。
そんな運命的な再会の場所がシント・イデスバルトであったというのですなあ。
従って、デルヴォー美術館は画家の生家とか旧居とか、そういうことではないものの、
運命の場所とも言える地にデルヴォー財団が邸宅を手に入れて美術館を作ったという次第。
明るい陽光、緑に彩られた庭、瀟洒な建物、デルヴォーの幸福が伝わってきそうな
美術館なのでありました。
あいにくと館内は撮影不可でして写真はありませんけれど、
デルヴォーの生い立ちに触れ、自分の画風が定まらない初期作品の数々、
そしていかにもデルヴォーな後の作品の数々にも接することができるという点でも
実に訪ねた甲斐のある美術館とも言えるのですよ。
「不思議なことに路面電車は母を想像させる」
まだ幼い私は、当時住んでいたアルブル通り(ブリュッセル)の家のバルコニーからよく下の道路を眺めていた。1900年に開通した路面電車が、レジャンス通りを走っていくのを初めて見たのも、ここからだった。私は箒を持ち出して「電車ごっこ」をした。傍らには母がいた。
あこれは美術館の解説で見たデルヴォーの述懐ですけれど、
デルヴォー作品で裸婦像ととも特徴的な路面電車、鉄道のモティーフもまた
幼い頃に見たものに端を発しているのですね。
デルヴォーはその作品の見た目の幻想的なさまからシュルレアリストとも見られがちですが、
基本的には自身の経験、体験を再構築している点に違いがあるような気がします。
例えば空中を浮遊する恋人たちを描いたシャガール 作品にはシュルレアリスム風味があるも
シャガールをしてシュルレアリストと言ってしまわないことと似たような。
展示されていた作品の中でも晩年に近い1986年作の「カリュプソー」という作品は
視力を失い始めていたからこそのぼんやり感なのかもしれませんけれど、
それが反ってシャガールとの近さを思ったりする作品でもあったような。
とまれ、こんな美術館が住まいの近くにあって
「ちょっと見て来る」とちょくちょく訪ねることができたなら…と
思わずにはいられない美術館でありましたですよ。