東京都埋蔵文化財センターと附属の「遺跡庭園 縄文の村」を訪ねて多摩センターまで行ったからには

もひとつ寄っていかねばと思うところがありますなあ。それはこちらです…

 

と、サンリオ・ピューロランドであるはずもなく(笑)、その手前、銀杏の木のところを右に曲がっところにあるこちら、

これが目的地なのでありますよ。多摩美術大学美術館です。

 

 

武蔵野美術大学の美術館は大学構内にありますけれど、多摩美の方は独立してあるのですな。

久しぶりに訪ねましたが、こちらもまたいい空間なのでありますよ。

開催していた展覧会は「須藤一郎と世界一小さい美術館ものがたり」というものでありました。

 

 

特に美術との関わりもなく会社員生活を送っていた須藤さん、あるとき旅行で伊豆を訪れたときに、

まあ、観光のついででしょうかね、一碧湖に近い池田20世紀美術館を覗いたところ、思わぬ「天啓」を受けたのだそうな。

以来、現代美術のコレクターともなり、所蔵品を増やしてついには自宅の中に美術館を設けてしまったと。

「世界一小さい美術館」の始まりというわけでして。

 

しばらく前に見たドキュメンタリー映画「ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人」を思い出したりもするところながら、

館内上映のビデオで窺い知れるところからしますと、単にコレクションに留まらない、アートへの情熱の傾け方がすごいですな。

 

「若手作家の公募展や留学制度、アーティスト・イン・レジデンス等の作家支援、そして東日本大震災の被災地等で継続する

芸術による社会活動へと展開していく」活動は、決して資産家の余技では無いわけですし。

「天啓」とはまさに人生を変えるほどの出来事であったのですなあ。

 

ちなみに自宅の一部を開放してできた「世界一小さい美術館」は、その後に銀座というアートギャラリー激戦区に進出、

このあたりにも意気込みが感じられるところであろうかと。新進作家にとっては多くに人の目に留まることこそ望まれるにしても、

そしていかな小さなスペースであったにせよ、銀座のビルの賃料はさぞかし高かろうでしょうしねえ。

ま、こうした下世話な算用をするようでは、なにごとも無しえないのかもですが。

 

今では場所を小田原市に移して、もはや「世界一小さい美術館」」の看板は馴染まないものとなっているような。

これは先にも触れた活動が、作品展示ということから大きくはみ出すものになって来たことと

無縁ではないかもしれませんですね。

 

ただ、本展の会場に須藤館長(ビデオで見たそのままの人ですので、すぐ判る)がふらりと姿を見せておりましたが、

あえて言うまでもないことながら、ごくごく普通のおじさん然としている。

その人の人生が大きく変わったことには、振り返ってご本人が一番驚いているのかもしれません。

 

ところで、その須藤館長に「天啓」をもたらしたというのが、

本展フライヤーにも大きく使われている菅創吉の「壺中」という作品なのですね。

美術館の展示作品をその場で買いにかかるとはよほどの強い印象を残したのでしょう、

ともあれ本展に展示された菅創吉作品のコレクションから見ていくことにして、次はそのお話です。