ということで「遺跡庭園 縄文の村」を覗いた後には、
お隣にあります東京都立埋蔵文化財センターの展示を見に行くことに…といっても、
この施設のお隣に付属で縄文の村があるという関係ですけれどね。
ともあれ中に入っているみますと、建物の外見とは異なって展示スペースはずいぶんと新らしいような。
一室の外周部分が常設展示、中央部分が企画展示のコーナーということで。
常設展示の方は多摩の遺跡からの出土品をはじめとした地域のなりたちのようなところがメイン、
これは各地にある郷土資料館的なものと似ておりますな。
ですので、ご当地自慢的に来場者をお出迎えするのは「多摩ニュータウンのヴィーナス」でありまして。
土偶は女性をかたどったとはよく言われることで、だからこそ「〇〇のヴィーナス」という愛称がよく使われますな。
長野県の尖石縄文考古館で見た国宝「縄文のヴィーナス」などは、実に安定感のある腰回りだったりしたですが、
こちら「多摩ニュータウンのヴィーナス」の方は結構平たい見た目であるなと。ついガンビーを思い出したり(笑)。
さりながら、「(縄文)中期前半の大型土偶の好例」として、「多摩ニュータウンのヴィーナス」は
大英博物館の「土偶」展に展示されたというから、侮れませんなあ。
不思議なことに?東京で出土するものなど大したものでないという思い込みがあったりするものでしてねえ。
ところがどっこい、バックヤードの収蔵庫にはかくもさまざまな出土品が保管されている。
どこれもこれもが考古学的に大きな価値があるとは言えないのでしょうけれど、
今は東京となっている場所に顧みるべき歴史がないわけではない。
おそらくこのことはどこの土地であっても同様に言えることではありましょう。
ところで、展示スペース中央の企画展示コーナーでは「リケイ考古学」なる解説展示がありました。
考古学は歴史学の一部であり、要するに文系の学問であるという思い込みは通用せんよとばかりに。
こつこつと掘り出した遺物を理化学的な手法でもって分析・調査することで、
これまで分からなかったことを知る、たくさんの手がかりが得られるということでありまして。
例えばよく知られるところでは「放射性炭素年代測定法」というもの。
炭素でもって、古い古い時代のめどが立つ…とまあ、なんともざっくりとした理解の仕方であったわけですが、
解説を見れば「なるほど、そういうことであったか」と。
植物が二酸化炭素を取り込むとは予備知識段階ですけれど、
さすがに植物もその生命が尽きると二酸化炭素を取り込む活動は失われるのですな。
で、炭素とひと括りにしてしまう中には「炭素14」というのが一定の割合で含まれていて、
5730年ごとに半分壊れて窒素14になるのだそうな。そこで、炭素14の失われ具合を分析すると、
その植物の生命の尽きた時期が分かるというわけでなのでありますよ。
「なるほど…」と言いつつ、分かったような分からんような、ですが。
それにしても、「植物の年代が分かるだけなの…」とも思うところながら、
先にも見ましたように竪穴式住居では火を使っていたのですから、そこにはたとえわずかでも炭が見つかる。
その炭がごく小さな粒であっても、分析は可能ということなのですなあ。
何しろ炭素自体は炭粒よりは遥かに小さいわけですから。
これ以外にも、蛍光X線分析であるとか、ガスクロマトグラフィー質量分析だとか、
もそっと身近?なところではCTスキャンなども駆使しながら、分析・調査が行われる。
それ以外にも、発掘遺物の保全・保管にも技術的な側面は欠かせない…となりますと、
いかに「リケイ考古学」が活躍しているかと知れるわけで、まさに今回展示の意図するところでありましょう。
ただ、こうしたことを通じて、結果分かることも大事ですけれど、
ふと「縄文の村」をふらりと歩いているときに、すれちがいざまのカップルから漏れ聞こえたひと言も印象的で。
森の中には縄文人の食を支えた木の実などに溢れていたわけですが、
「どれが食べられるものか、昔の人が試した結果なのだよね」という言葉が聞こえてきたときに
そんな想像力といいますか、そういう発想も大事だよなあと。やっぱり文系あたまならではかもですけどね…。