富士の湧き水がだだ漏れ?状態の都留市で一泊の後、車は果たしてどちらへ?
ところどころで立ち寄りポイントをリクエストしたりもしますが、
何ぶんにも単なる便乗者でひとまかせのところがありますのでね。
で、この日に目論まれていたのは、富士の西側をぐるりと回ってみるということであったようで。
以前、同じ便乗旅行で富士五湖をいっぺんに巡る試みがありましたけれど、
富士五湖はもっぱら山梨県側ですので、そうでない方向へ向かう…ということは静岡県になるのでは?
取りあえず、東京の隣接県までは出張ってましたが、静岡県とははみ出し過ぎかもと思うところながら、
これまで、そしてこの後も道々で見かける車のナンバーは日本全国のものが入り乱れておりまして。
だから良しというものではないでしょうけれど、要は新型コロナウイルスに感染しない、感染させないよう
できる限りの配慮をしつつ、行動半径はやはり徐々にでも復していくことになりましょうか…。
ということで、あちらこちらの方向から富士を眺めやることになったわけですが、まずは前日に見た、
笛吹川フルーツ公園から甲府盆地越しの富士という図でございます。
甲府盆地と富士山との間には御坂山塊が横たわっておりますので、
富士の大きさはそこから一頭地を抜いた高さとして感じ取れるわけですね。
この甲府側からみた富士は頭の部分しか見えないことを、
昔々の大河ドラマ「武田信玄」で当時の中村勘九郎(十八世中村勘三郎)扮する今川義元が笑うと、
これに対して中井貴一の武田信玄は駿府側から見る富士は尻まで丸出しと失笑を返すという、
そんな場面がありましたなあ。
富士にはいろいろな見ようがある。
だからこそ葛飾北斎は「富嶽三十六景」を描き、また墨一色ながら「富嶽百景」をも描いたのでありましょう。
とはいえ雄大さと言う点では、裾野を長く引く孤高の姿は実に捨てがたい。
こちらはまだ山梨側ですが、御坂の山々という屏風を取り払った景観。
富士吉田市にある新倉山浅間公園からの眺めです。
本来この場所は山の斜面に建てられた忠霊塔(五重塔)を近景に富士山を写せる場所として
外国人観光客にも知られるようになったところであるそうな。
もっとも、絶景撮影ポイントとされる展望デッキは(三密回避の関係から)閉鎖中だったのですけれどね。
(そんなところへ入り込んでわさわさ騒いでいる家族連れなどを見るとげんなりしますが…)
その後、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖を全てぶっ飛ばして、いよいよ静岡側に入っていくことに。
最初に停まったのは道の駅朝霧高原、その裏手にある展望台からの富士ですが…。
やはり真夏はあっという間に雲が湧いてしまいますなあ(もっとも朝から霧が出るので朝霧高原ということですが)。
低層の雲は比較的動きが早いですので(その代わり、高層の雲はじっと動かず)しばらく待ってみましたが、
山頂が少し顔を覗かせたところを撮るのが精一杯でありましたよ。
それにしても朝霧高原というところ、なんとも草原をわたる風の涼やかなこと。
標高はせいぜい1000mくらいということで、夏場にもそっと高所にも行ったときに大層暑い思いをしたわりに、
感動的に涼しかったのですが、なぜなんでしょうねえ…。
お次は静岡側で逆さ富士の眺められる(はずの)スポットである田貫湖の湖畔から。
年に二度だけ、富士山頂から昇る朝日が見られることでも知られておりますな。
されどこのときは、やはり雲に苛まれてしまいました。
ということで、曇りない富士の姿をかき氷@休暇村富士で楽しむことに。
このかき氷ではちと山頂部が尖りすぎですけれど、
だいたいにおいて円錐形のものを示され、「富士山である」と言われれば、
「ま、そうかな」と思ってしまうところがあろうかと。それくらいに富士山の姿はアイコン化、記号化してもいようかと。
そも、先に触れた北斎描くところの富嶽図においても、これが富士山だと誰もが認知する図像は
実物の富士山とは似ても似つかぬ姿をしていたりするところながら、それでも富士山と受け止めるわけで、
そうした伝統的な見方が根付いていること自体、やはり富士山は「文化遺産」なのですなあ。
さて、富士の西側に回り込んですっかり山容が見て取れない状態でしたが、
白糸自然公園まで来てようやっとなんとかそれらしく見えて…と思うところながら、
ここで改めて「おや?」と。山頂部の形が山梨側から見た姿とは異なっておりますねえ。
この写真を富士であると知らされずに見せられたとしたら、
「うむう、富士山に似ているけれど、どこかしらの何々富士のたぐい?」と思ってしまうかも。
関東の人間からしますと(と一概には言えないでしょうけれど)富士さんのてっぺんは
ほぼ平らに近い印象がありますが、ここからの眺めはやや尖り気味。ここではたと気付きますのは
さきほど田貫湖畔で出てきたかき氷、なるほど西側からの眺めに従えば尖り気味と思ったものも、
見てのとおりであったということになりましょうか。
と、ここでまたふと思い出すことにはかつて薩埵峠から富士を望んだことがありますが、
それも西側からの富士だったはず…と自らの記録を顧みて「おお!」と。
時季的に山頂部分に雪を被っている姿はいかにもな富士山、その雪化粧に眩惑されて
山頂部の形の違いを認識しておらなかったのでありましょう、おそらくは。
とまあ、かように富士山の西側を巡ってきて、たどり着いたのは静岡県富士宮市。
富嶽七景(かき氷富士も勘定に入れてですが)の最後に見る富士の姿はこちらです。
斬新な形状の建物である静岡県富士山世界遺産センターは
手前に広がる水面に映し出される姿が富士山の形なるように、わざわざ建物を逆さ富士状態にしてあるという。
残念ながらこのときは水面がさざ波だっていたものですから、逆・逆さ富士の姿は拝めなかったですが、
この形を富士山と認識すること、やはり富士山のイメージは間違いなく定着したものがあると言えましょうね。
ということで、静岡県富士山世界遺産センター内の展示につきましては、この次のお話ということに。